何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

毬毬を包みこむナニワ文化圏

2016-05-14 22:51:33 | ひとりごと
「幸が阪急電車に乗ったなら」より

二限目「毬毬をつつみこむナニワ文化」
丑三つ時に・・・ということはよもやないが、どちらかと云うと私は、言いたいことの半分も言えず「玄関に逆さ箒」のクチなので、ナニワ文化圏の明け透けな物言いには驚かされることが多いが、だからといってナニワ文化圏が嫌いなわけでは決してなく、むしろケッコウ好きかもしれない。
「阪急電車」(有川浩)の阪急電車内ほどの密な雰囲気に馴染む自信はないが、秘めたる領域にズケズケ入り込まれ余計なお節介を焼かれて迷惑に感じながらも、ひどく傷つくということはなく、むしろ正直なところを聞かせてもらえて良かったと思わせてしまうのが、関西弁というかナニワ文化圏の良いところかもしれない。

「あきない世傳 金と銀」(高田郁)には、そんなナニワ文化圏の情緒が色濃くでているのかもしれない。
学者の家で育った幸は、五鈴屋で働きはじめても戸惑うことが多く笑顔で人に接することができないが、そんな幸に番頭・治兵衛は「笑うたほうが宜しいで」とよく声をかける。
これも9歳の女衆が番頭に答える言葉としては、なかなかに肝が据わっていると思うが、ある時幸は「面白くもないのに笑えない」と正直に答える。
ここで、「小娘如きが、なにを小癪な」などと怒りを爆発させるようでは、ナニワの商人としては大成しない。
五鈴屋を仕切る大番頭の治兵衛は笑顔で応える。
『人というのは難儀なもんで、物事を悪い方へ悪い方へと、つい考えてしまう。
 それが癖になると、自分から悪い結果を引き寄せてしまうもんだすのや。
 断ち切るためにも、笑うた方が宜しいで』 と。
治兵衛の言葉が胸にしみた幸は、故郷を出て、女衆として初めて迎える正月に「笑ってみよう」と決心するが、その決意の理由が既にナニワ文化圏に侵されている?
『今年はなるべく笑って過ごそう。楽しくないから笑わない、というのではなく、笑顔になって福を引き寄せよう。
もう神仏には頼らないけれど、笑うことには頼ってみよう』
9歳の少女をして「もう神仏には頼らないけれど、笑うことには頼ってみよう」と決心させるあたり、恐るべしナニワ文化圏。

ナニワ文化圏の言葉は洒落っ気にも富んでいる。
お店の仕様が分からず立ち止まってしまう幸は、奉公初日から「畑の羅漢さん」と面と向かって言われるが、幸にはそれが何を意味するのか分からない。
ある時、番頭・治兵衛から『「畑の羅漢さん」で、はたらかん。つまりは働かん怠け者、という意味だす』と教えられた幸は、腹立ちや恥ずかしさよりも、おかしさが先に込上げてしまうが、治兵衛は『大坂は商いの街だす。尖ったことも丸うに伝える。言いにくいことかて、笑いで包んで相手に渡す。そうやって日日を過ごすんだす』という。
おそるべしナニワ文化圏
阪急電車はこのナニワ文化圏を走っているのだと考えれば、小説「阪急電車」(有川浩)も肯けるというもの。

ナニワ文化圏用語として他にも「袖口の火事」「赤子の行水」「饂飩屋の釜」などが紹介されていたが、その心は三限目「豊かな地に愛される皇太子様」の講説で解き明かすことにする、まだつづく。

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