何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ひまわりを共に見上げたい

2016-05-30 23:23:15 | ニュース
今年は、「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。」という勇ましい言葉に始まり、保育園建設や待機児童問題が続いている。春先にも、開園予定だった保育園が「子供の声でうるさくなる」という近隣住民からの反対で建設を断念したというニュースがあったが、今日も今日とて反対運動のニュースが続いている。

<待機児童対策で公園に保育園を 説明会は紛糾> テレビ朝日系(ANN) 5月30日(月)1時5分配信より一部引用
東京・杉並区は待機児童対策として、区立公園の土地に保育園をつくることを決め、説明会を開きました。参加した近隣の住民からは「急ぎ過ぎだ」などの声が多く出て、説明会は紛糾しました。
杉並区では去年に比べて待機児童の数が3倍の136人となり、来年はさらに増えて560人を超える見込みです。区は緊急の対策として、3つの区立公園の土地に保育園をつくることを決め、近隣の住民向けの説明会を開きました。しかし、参加者からは「他にも場所があるのになぜここなのか」「待機児童の問題 は理解しているが、住民の了解を得る前にすべて決まっている」など、決定に至る過程に疑問の声が相次ぎました。区は「待機児童をなくすために区全体として取り組まなければならない」として理解を求めました。

保育園建設反対の第一理由が「うるさい」ことにあるならば、区立公園の近隣住民は子供の声に慣れていると踏んだのか、杉並区は保育園を区立公園につくると決めたが、やはり説明会は紛糾し五時間半の話し合いの末物別れに終わったようだ。

保育園を求める側の切実な状況も、それまでの生活環境が激変してしまう側の戸惑いも分かるので、どちらの立場にも立つつもりはないが、双方譲れない線があるなら、直接話し合うしかないのかもしれないと思わせる本を思い出した。
「ひまわり事件」(荻原浩)
「あとがき」には、『少子化は就労人口の減少につながり、その先には年金システムの崩壊をはじめとする様々な悪影響がでて、やがては国力の衰えが加速していく。高齢化は、本来長寿はめでたいものだが、それが医療費や年金を圧迫し、介護問題も顕在化している。この二つを舞台にしたのが、本作』とある。

その舞台となるのが、有料老人ホームひまわり苑とひまわり幼稚園。
この近隣住民に敬遠されがちな二つの施設を経営しているのは建設会社の社長一族であるが、それは多分に県議会議員選挙対策でもあり、また職員の水増し請求など立場を利用した公金掠め取りでぼろ儲けをする手段でもあった。
ある時、県議選の対策として「新しい地域コミュニティーをつくろう」と思いつき、老人ホームと幼稚園の間にあった高い塀の一部が取り払われるのだが、行き来するようになった老人と園児がお互いをどう見ているかが面白い。
老人は毒づく。
『ああ嫌だ。子供は嫌いだ。無自覚に、無駄に「生」をふりまくばかりの生き物だ。略~
 自分はまだ老人ではなく、壮年後期だと考えているが、それでも週に一度は自分の葬式のことを思い浮かべる。
 葬式の先の闇のことも。
 可愛いのは自分の孫ぐらいのもの。それも図体ばかりでかくなった今の生意気な孫どもではなく、
 「ジィジ大好き」そう言って、加齢臭もものともせず抱きついてくれた頃までの』
一方の幼稚園児の感想も辛辣だ。
『自分達の何十倍も生きている人間なんて、ゾンビとしか思えなかった。
 それだけの年になるまでに、何度生き返っているのだろうか』

「無駄に’’生’’をふりまくばかりの生き物」である園児とゾンビたる老人は、戸惑いながらも一緒にヒマワリの種を蒔き、成長を見守り、真夏に『(園児にとっては)今までの五年間の人生で見た一番でかい花』を共に見上げ喜ぶまでになるところなど仄々とさせられる。だが、この話は「ひまわり事件」というだけあって、老人と園児がそこそこ仲良くなってメデタシめでたしでは終わらない。

オーナー一族が立場を利用し公金を掠め取っていた事が明らかとなり、それを弾劾する大騒動が起こるのだが、このとき元全共闘の闘志であるホーム入居者が吠える言葉こそ、保育所を必要とする人々とそれを阻止したい人々と、そのニュースを見ているだけの人々に届けたいと思っている。
『闘え。若者も、中年も、老人も、子供も、男も、女も。逃げるな、闘え。
 安全な所で人を笑うな。
 高みから他人の火事を見物するな。そこから出て、自分の言葉で自分を語れ。
 怒れ。立ち上がれ。声をあげろ。拳を握って叫べ』

「保育園落ちた日本死ね」は確かに怒り、拳を握って叫んでいる。
この問題にも怒りにも直接関係ないと感じる人も多いだろうが、そうだろうか。
保育所が必要だというのは単に箱モノ施設の必要性だけに止まらず育児支援拡充に及ぶ問題のはずだし、保育園建設反対も「うるさい」だけが理由ではなく長い余生を静かな環境で過したいという多くの人の願いでもあるはずだ。
本作の後書きにもあるように、保育所問題は超少子高齢化問題の根幹に関わるので、老いも若きも逃げずに考えなければならないのだと、自分にも言い聞かせている。

ところで、「ひまわり事件」を読んだのには理由がある。
昨年ウィリアム王子ご夫妻の第一子ジョージ王子が幼稚園に通われるニュースで素敵な言葉に出会い、何か幼稚園を舞台とした本はないかと探していて見つけたのが、本作だったのだ。

【ロンドンAFP=時事】  2015/12/18-21:32配信より一部引用
英王室は18日、ウィリアム王子と妻キャサリン妃の長男ジョージ王子(2)が2016年1月末から、英東部ノーフォークのアンマーホール邸近くにある幼稚園に通うと発表した。
声明によると、王子が通う幼稚園は「王子を迎えるのを心待ちにしています。王子も全ての園児と同じように、特別な経験をするでしょう」と述べた。  http://www.jiji.com/jc/article?k=2015121801008&g=int

ウィリアム王子ご夫妻は「できるだけ一般の子達と同じ経験を」と望まれたそうだが、これに対する幼稚園側の言葉は素敵だ。
『王子を迎えるのを心待ちにしています。王子も全ての園児と同じように、特別な経験をするでしょう』
高貴な方々が「一般の子供たちと同じ経験を」と願われるのは自然なことだと思うが、幼稚園をはじめ学校生活というものは、どの子供にとっても初めての特別な経験にちがいない。
この当たり前の事を言える幼稚園の教育方針も、これが言える社会も成熟しているように思われる。

公金を掠め取る手段として幼稚園を経営するような偽善事業は論外だが、かの国の幼児教育の認識の高さに鑑みると、私達が抱えている問題は、数の欠如だけではなく質の問題こそ大きいのではないかと考えている。

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