何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ワンコの導き 鈴蘭の教え

2017-05-01 19:11:51 | ひとりごと
「舌かんで反省したい 冒頭追記~舌かんで猛省すべき」より

戦前戦中の経験を踏まえた論考の著者を間違えるといった失態は、自分自身許し難く、このブログを続けるか否かの結論はまだついていないが、何故このような間違いをしたのか、「堕落論」(坂口安吾)とは何なのか?は、記しておきたいと考えている。

先の(28日)の「舌かんで反省したい」に書いたように、三木清氏や丸山眞男氏は「知性と、知性の使いどころ」について真剣に考えたくなるような時代を生きておられた。
そこから生まれた論考だと分かっていながら何故ミスを犯したのか。

三木・丸山両氏、とくに三木氏が云う「知性こそ主観的なもの」を前提にした場合、知性の対極にあるものは何か?と考えたのが、そもそも今回の間違いの原因であった。
知性が客観的なものならば、その対極は’’無知’’なのかもしれないが、それを主観的なものだとすれば、知性の反対は’’堕落’’ではないだろうか、こう考えた視線の先、ふと目にとまったのが文庫本の「堕落論」だった。
だからと云え、なぜ「堕落論」の著者を、丸山眞人氏だと勘違いしたのかは、今でも分からないのだが、このところ「堕落だ、堕落だ」と言いながら、薄い文庫本「堕落論」を手に取ることが多かった。
そう言いたくなる世相が ここ数年、明確に、あった。
だが、昨年夏以降のそれは、「堕落論」が云うところのものより尚質が悪いように感じられた。
これが、この半年頭から離れなかったことも、間違いを犯した原因ではあると思う、

今私のなかにある怒りを「堕落論」に絡めて、そのままぶつければ、何を書いてしまうか分からないほど、私は怒りながら深く失望している。
一昔前なら しょっ引かれるかもしれない、それを書かせぬようにワンコが、ヒートダウンする機会を(著者の名を間違えるという失態)私に与えたのではないかと、今は感じているのだが、この怒りと失望を今記しておかないことも、違うと思うのだ。

もともと知性的ではない私のことだから’’ままよ’’と書き記してもよいのだが、もし この失態がワンコからのお告げなら、どう記せば、「知性こそ主観的なもの」に悖らず、この怒りと失望を表現できるのだろうか。

 
ワンコが好きだったスズラン
スズランが群生していた場所までベランダを広げたために、今年のスズランは例年の三分の一になってしまったよ ワンコ
少なくなったスズランは少し寂しげで、まるでワンコの不在を悲しんでいるようにも思えるよ ワンコ
でも、少ないながらも しっかりと芽をだし花を咲かせてくれたスズランに、’’続いてる’’というワンコの心づかいも感じているよ
だからワンコ、この問題は、ワンコに及第点をもらえるように今しばらく、しっかり考えてみるよ ワンコ
おそらく多分 つづく