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He who laughs last laughs best

豚は、誰? ②

2018-06-02 12:00:00 | 
「豚は、誰? ①」より

「テロリストの処方」(久坂部羊)は、医療破綻という ''今そこにある危機'' を示すことで不安を煽りつつ、高額な医療提供で高額な収入を得ることに成功した ’’勝ち組医師’’ がテロの標的になるというサスペンスだが、本書を読み私が不安を感じたのは、少し別なところにある。

その一つは「豚は、誰?①」で記したように、医療被曝の危険性だが、もう一つ世情とあわせて不安に思ったことがある。

それは、本書の主人公である医療系ジャーナリスト(医師の資格をもつ)が、医療改革の方向性に危機感を持ちながら、改革推進派に疎まれ仕事を失うことを恐れ、何も言わないどころか片棒を担いでしまう場面だ、しかもそんな場面は何度もある。

医療改革推進派は、実は自分達こそが’’勝ち組医師’’であるにもかかわらず、自分たちとは異なるタイプの ''勝ち組'' を悪者に仕立て上げ、世間の反感を煽り、自分達に都合の良い改革を強引に推し進めようとする。

医療改革推進派が推し進める「医道八策」は、一見すると、医師の技術向上と医療費の抑制と医療の地域的偏在の解消に寄与する素晴らしいものだ。

一、医師免許の更新制
二、医師および医療機関の年俸制
三、無駄な医療の撤廃
四、医師の再教育プログラム
五、医師のキャリア管轄
六、医師配置の管轄
七、医療機関の経営統括
八、患者説明の徹底

主人公の医療系ジャーナリストは、自身が医師であることから見えてくる現実や詭弁と、妻の「患者はとにかくいい医療を、安く、早く、安全に受けられたらいい」に代表される一般的世論の狭間で揺れながら、無理のある改革内容を強引に進めようとする推進派に危機感を持つのだが、それを言いだすことが、どうしても出来ない。

というのも、強大な力をもつ推進派が、気に入らない医師の弱み(女性問題、家庭不和、医療ミス、論文捏造、変態趣味など)を握り摘発し追い落とす様を、主人公は目の当たりにしていたからだ。

医師としての活動はしないものの医療関係者として食べている主人公は、触らぬ神に祟りなしとばかりに、改革について門外漢を決め込もうとする。

この姿勢と、このような姿勢を生み出す世情には、覚えがある。

あえて対立軸を作り悪者に仕立て上げ、(本当のところいいのか悪いのか分からない)改革を声高に叫ぶ。
反論することに身の危険を感じさせる。
そして、まともな人間ならまともに議論したくなくなる状態にし、まともでないことを推し進める。

これで、ある詩を思い出してしまう現在が、哀しい。

マルティン・ニーメラー
(ドイツ、ルター派牧師であり反ナチ運動組織告白教会の指導者)の言葉に由来する詩

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は共産主義者ではなかったから。
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。
彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。


この詩は、もう何年も前に、我が国の信教の自由(憲20)に危機感をもったクリスチャンの上司から教えられたのだが、当時は今一つピンとこなかった。(私は共産主義者でも社会民主主義者でも労働組合員でもユダヤ人でも、そしてクリスチャンでも、なかったから・・・苦笑)
だが今は、世の空気全体に、これに通じる危険を感じている。
にもかかわらず何も言うべき言葉を見つけることができない自分の不甲斐なさを、主人公と同様に感じている。

この危険こそが、私にとって最大のサスペンスだと、本書の感想として今記しておきたい。

追記
検索するとマルティン・ニーメラーの言葉には、様々なバージョンがあるようなので、あの丸山眞男氏によるものも記しておきたい。
『ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた。
けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。
それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。
けれども自分は依然として社会主義者ではなかつた。そこでやはり何もしなかつた。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、
そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。
さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。
そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。』

丸山眞男 論文「現代における人間と政治」(1961年)より