何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

彼奴らと共に去りぬ、権威

2018-10-15 00:03:33 | ニュース
あまりの忙しに、山写真の整理もままならないし、なかなか本を読むこともできないので、山写真の記録も読書感想文も途絶えがちになっている。
個々の感想は兎も角も’’今’’の記録だけでもとニュースを見れば、腸が煮えくり返るような話ばかりだし、せめて季節の植物を撮ってブログに載せようかと思うと、カメラが壊れているし、ろくなことがない今日この頃。

昨年夏からの一連の(我欲の為に法治国家を蔑にする)いと高き処の諸行に対する怒りをそのまま吐き出せば、少しは気が晴れるのだろうか、とも思ったが、やっと少し時間がとれたので、長期療養型の病院へお見舞いに出かけた。

病院への道すがら、久しぶりに読んでいたのは、医師でもある作家さんの本だった。
過去の作品にはグロテスクなものもある作家さんではあるが、最近の作品は、風刺こそ痛烈な嫌味を含んではいるが穏やかなものも増えてきたし、タイトルも表紙の絵も洒落っ気があるので、安心していたのだが。

「カネと共に去りぬ」(久坂部羊)
https://www.shinchosha.co.jp/book/335872/ ←表紙の絵

くも膜下出血の緊急手術から三か月。
先の見えないなかリハビリが続く知人と支える家族の困難を目の当たりにしたせいか、それとも超豪華ホテルのような外観と内装をもってしても払うことのできない空気を纏ってしまう その病院の性質のせいかは分からないが、寂しさに沈み込んでしまう お見舞いへの道中に読むべき本ではなかった。

世界の名作を医療分野に当てはめパロディ化した7編の短編小説からなる本書は、医師や人間の性 さが を描いて面白いものもあるが、作者が現役の医師であることを念頭におけば、医療者の本音と厳しい現実を突き付けてくる場面も多くある。

中でも気になったのが、第六編「変心」(『 』「カネと共に去りぬ」より)

主人公の寒座久礼子は大学病院の研修医だったが、自宅でも、9歳年下の弟の介護をする日々だった。
弟は、将来オリンピック出場を期待されるほどの短距離の選手だったが、ある日突然 下校途中に倒れ、そのまま寝たきりとなってしまった。
あらゆる検査をしたが原因は分からぬまま、食事は胃瘻、尿はバルーンカテーテルで、便は紙おむつ、呼吸のために気管切開が行われ気管カニューレが差し込まれた、という状態で自宅療養となっている。

久礼子は大学病院で治療にあたるにつれ、『治療の余地のなくなったがん患者に、副作用の強い抗がん剤を投与したり、治る見込みのない難病の患者に、ごまかしの治療をしたり、あるいは回復するはずのない麻痺の患者に、頑張ればまた手足が動くかのような嘘の説明をして、リハビリをさせたりする』のは欺瞞ではないかという思いが深くなっていくのだが、その苦しみは、帰宅しチューブにつながれた弟を見る(診る)と更に強くなる。

そんなある朝、久礼子の心は毒虫のようになってしまうのだが、その毒虫の心は、久礼子に久礼子の本心と欲望なるものを、教える。

毒虫の心は、久礼子が小さな生き物を可愛がってきたことも、か弱いお年寄りに親切にしてきたことも、本心ではなく、優しい人いい人と思われたという欲望にかられただけだったと、教える。
また毒虫の心は、久礼子は本心では、家族の重荷の弟には早くケリがついて欲しいし、助かる見込みのない患者は熱心に治療すべきでないと思っていると、教える。

大学病院では医療の欺瞞に苦しみ、家ではその欺瞞の結果に苦しんでいた久礼子は、優秀な人いい人と思われたいという欲望を捨て本心に従い生き(医師を辞めSM嬢になり)、更には本心に従い弟を楽にしてやろうとするのだが、その直前、元気だった頃の弟の笑顔が脳裏によみがえってくる。

毒虫の本心は、元気だった弟は二度と戻ってこないから苦しみを終わらせてやったほうがいい、と嘯くが、それで本当にいいのだろうか、と悩んだ久礼子は、本心と決別することを選ぶのだ。

『これからずっと、心の命じる通りに生きたらどうなる。ダメな人間はダメと決めつけ、強くて優秀な者だけが勝ち残り、無駄は全て排し、悲惨な現実から目を背けられない。自分が不治の病になれば、早々に治療をあきらめ、死を受け入れさせられるだろう。老いて弱れば、回復の望みを捨て、さらに状況が悪くなると諦めさせられる。そんな恐ろしい生き方ができるのか。いやだ。私はそんなに強くない。嘘でもまやかしでも、希望があるほうがいい。』

こう読めば、「そうだ、そうこなくては」と思うのだが、そう単純に終わらないのが久坂部作品。

病院に復帰することを決めた久礼子は、進行がんの患者や脳梗塞で麻痺の治らない患者に笑顔で告げる言葉を考える。

『大丈夫ですよ。きっとよくなります。あきらめる必要はありません。まだまだ治療の方法はあります。エライ先生が必ず治してくれます。医療はどんどん進歩しているし、すばらしい治療がいっぱい発明されているんですから、日本はぜったいに安全で、安心で、自由で、平和で、平等な幸せな国なのですから。何もかも思い通りになりますから』

・・・・・

長期療養型リハビリ病院への道中に読むべき本ではなかった。


沈む気持ちをほんの少し笑わせてくれたのは、7編「カネと共に去りぬ」で紹介されていた、辺見愚英(へんみぐえい)の作品紹介だ。
『誰がためにカネは唸る』は、『ITバブルで大儲けした男女の恋愛小説』
『老人と膿』は、『足が化膿した老漁師の恋愛小説』
『日はたまに昇る』は、『めったに晴れない北陸と山陰を舞台にした恋愛小説』
『不器用さらば』は、『別れがへたくそな男の恋愛小説』