週末まとめて新聞を読んでいた。
あの時の喪失感が胸に押し寄せてき、大切な人がこれから色のない季節を過ごされることを思い、ぼんやりと一週間分の新聞を眺めていた。
そこに、ふと目にとまった「折々のことば」(鷲田清一)
『そしてナチスが私を連行したとき、それに抗議する人はどこにもいなかった』(『 』「折々のことば」より引用)
これは、ドイツ人牧師マルティン・ニーメラーの言葉に由来するもので、平和を希がう人々の間に詩の形で広がったものである。
私がこの詩を知ったのは、数年前にクリスチャンの上司から聞いたのが最初だったが、上司は明確に世の流れに危機感を持っておられた。
あれから数年、自分自身すっかり茹でガエルになってしまったのかもしれない。
忙しさにかまけて、何かを言葉にするどころか、何かを考えることすら拒否してきたような気がする。
そんな諦めにより思考停止してしまった頭に、チェロの音色は大切なものだった。
時に怒りに震え、時に諦観と哀愁を帯びたその音色は、しかしいつも優しくユーモアーに富んだものだった。
上から下までありとあらゆることが、おかしくなっているのに、おかしいものをおかしいと呟き吠えると、どこからか看守がやってくる。
災害からの復興どころか復旧すらままならないのに、それを呟き吠えることに、ためらいを覚えなければならない空気が、たしかにある。
そんな おかしさを見て見ぬふりをしていることに気づかせてくれるチェロの響き。
その第二楽章が、10月5日の朝、静かに終わった。
その知らせに呆然としているとき、マルティン・ニーメラの言葉が、目に留まったのだ。
この詩は、マルティン・ニーメラの言葉に由来するものなので、解釈も訳も幾通りもあるようだが、ここには上司から聞いたものを記しておきたい。
『彼らが共産主義を攻撃したとき、私は声をあげなかった。
なぜなら私は、共産主義者ではなかったから。
彼らが社会主義を攻撃したとき、私は声をあげなかった。
なぜなら私は、社会主義者ではなかったから。
それから、労働党員が、学校が、新聞が、ユダヤ人が、次々攻撃を受けたが、
私は、そのどれでもなかったため、声をあげなかった。
そして、遂に彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる人は誰も残っていなかった』
チェロの響き第二楽章の終わりを知った日、この記事を読んだのは、チェロちゃんからのメッセージなのだと思う。
「しっかり目をあけ世の中を見なさい、おかしなことから目を背けず、義なる道と人を応援しなさい」
そうチェロちゃんは、虹の橋を渡りながら、ワンコを通じてメッセージを送ってくれたのだと信じている。
そうして、天上界散歩がひと段落したら、必ず第三楽章が高らかに奏でられると信じている。
主峰穂高を守るジャンダルム
何が大切かを見極める力と、大切なものを守る力を与えておくれ
チェロちゃん ワンコ
ワンコへ
今日ワンコ聖地へお参りして、しかと頼んだから分かっていると思うけど、
天上界にいる間は、しっかりお父さんをお守りするよう、チェロちゃんに伝えてね
そして、お父さんの代演のため、天からつぶやき遠吠えを送るよう、チェロちゃんに伝えてね
でも、これからこちらは、味覚の秋芸術の秋で天上界に負けないくらいいい時期なので、
仲良く一緒に戻っておいでね
頼んだよ ワンコ