また一つ被災地と呼ばれる場所ができてしまった。
被災地へのお見舞いの気持ちも認めたかったのだが、このところ又 猛烈に忙しいのに、何の因果か陰謀か10月1日家の共有パソコンまで壊れてしまったため(もともとmyパソコンはダウン寸前の微妙な状態)、1日以降なかなかブログを見ることも書くこともしづらい状況だった。
この間に日本を襲った台風19号は、被災地域が広範にわたり被害が甚大であるため、台風に名前を付ける基準「損壊家屋千棟以上、浸水家屋1万棟以上、相当の人的被害」にあたり、もし命名されれば42年ぶりのことだという。
台風というと、二百十日といわれるように八月下旬から九月はじめのものだったが、温暖化の影響か昨今では春先から晩秋まで本州に近づき被害をもたらすものがある。
また昨年の平成30年7月豪雨は、台風ではないが、今回よりも甚大な被害をだしている(平成30年7月豪雨の被害状況 死者263人、行方不明者8人、負傷者484人、家屋被害 全壊6783棟、半壊1346棟、床上浸水6982棟、床下浸水2万1637棟)。
また昨年の平成30年7月豪雨は、台風ではないが、今回よりも甚大な被害をだしている(平成30年7月豪雨の被害状況 死者263人、行方不明者8人、負傷者484人、家屋被害 全壊6783棟、半壊1346棟、床上浸水6982棟、床下浸水2万1637棟)。
地球規模の地殻変動や気候変動のただなかを生きているので、いつどこが被災地になるのか分からない恐怖を感じた時、思い出した本の一節がある。
「日日是好日」(森下典子) (『 』「日日是好日」より)
『人生に起こるできごとは、いつでも「突然」だった。昔も今も・・・・・。
もしも、前もってわかっていたとしても、人は、本当にそうなるまで、何も心の準備なんかできないのだ。結局は、初めての感情に触れてうろたえ、悲しむことしかできない。そして、そうなって初めて、自分が失ったものは何だったのかに気づくのだ。
でも、いったい、他のどんな生き方ができるだろう?いつだって、本当にそうなるまで、心の準備なんかできず、そして、あとは時間をかけて少しずつ、その悲しみに慣れていくしかない人間に・・・・・。
だからこそ、私は強く思う。
会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。
幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。
だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。
一期一会とは、そういうことなんだ・・・・・。』
本書は折々に私を助けてくれるのだが、昨年思いがけない訃報に驚愕したとき、ワンコがこの本のこのページを読めとお告げしてくれた時ほど心に響いた時はない。
たった数時間の大雨で家が流されてしまうことも、職場に突然火が放たれることも、地震で一瞬にしてすべてを失ってしまうことも、もう何でもアリの世の中だ。
もしも、前もってわかっていたとしても、人は、本当にそうなるまで、何も心の準備なんかできないのだ。結局は、初めての感情に触れてうろたえ、悲しむことしかできない。そして、そうなって初めて、自分が失ったものは何だったのかに気づくのだ。
でも、いったい、他のどんな生き方ができるだろう?いつだって、本当にそうなるまで、心の準備なんかできず、そして、あとは時間をかけて少しずつ、その悲しみに慣れていくしかない人間に・・・・・。
だからこそ、私は強く思う。
会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。
幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。
だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。
一期一会とは、そういうことなんだ・・・・・。』
本書は折々に私を助けてくれるのだが、昨年思いがけない訃報に驚愕したとき、ワンコがこの本のこのページを読めとお告げしてくれた時ほど心に響いた時はない。
たった数時間の大雨で家が流されてしまうことも、職場に突然火が放たれることも、地震で一瞬にしてすべてを失ってしまうことも、もう何でもアリの世の中だ。
そして、ある日突然病に倒れ、帰らぬ人となることも・・・
だからこそ、悔いないように一瞬一瞬を大切に生きなければならないと肝に銘じたのは、おそらく年齢のせいでもあるが、それを また再確認しなければならないような災害に、心がつぶれるような思いがする。
そのようななか、即位礼正殿の儀が行われる。
それについては、又つづく
それについては、又つづく