こう書けば、ある種の反発をかうのを覚悟して書くが、両陛下のこれまでの御歩みを思えば、この災害のさなかに儀式を行わなければならなくなったことにどれほど心をいためておられるかと拝察され、お気の毒に思うと同時に、祝賀御列の儀 以外はそのまま行われることに大丈夫なのかという懸念を感じずにはいられなかった。
日頃仕事場で皇室のことが話題になることは少ないが、さすがにお代替わりの行事ともなれば老若男女みな関心を持ち、5月1日ご即位の前後から度々その話題で盛り上がってきた。
なかでも、心の中では両陛下(平成の皇太子ご一家)を熱心に応援している人がこれほどまでに多かったのだと知ったことは、当時の命の危険すら感じさせたバッシングに怒り心頭だった私としては、嬉しい驚きでもあった。
そのような流れもあり即位礼正殿の儀が行われることが話題になったのだが、そこに阪神淡路大震災の被災者であり、その後災害の度に被災地に赴きボランティア活動をされている上司がおられたので、皆が言葉に窮していた。
その上司だけは、被災地と被災者が苦しんでいる間の慶事は避けるべきだと言う(表現は適切ではないが)権利があると思ったからだ。
だが、そうではなっかった。
そのような流れもあり即位礼正殿の儀が行われることが話題になったのだが、そこに阪神淡路大震災の被災者であり、その後災害の度に被災地に赴きボランティア活動をされている上司がおられたので、皆が言葉に窮していた。
その上司だけは、被災地と被災者が苦しんでいる間の慶事は避けるべきだと言う(表現は適切ではないが)権利があると思ったからだ。
だが、そうではなっかった。
あの朝、卒論を書き終わり実家に戻っていた上司は、世界が終わったのだと思ったという。
全壊は免れ当面の雨露はしのげるとしても、到底元通りに住むことはできない自宅から這い出し、地震だったと理解した後も、家々が崩壊し道がゆがみ、助けを求める声がしだいに小さくなり途絶えてしまうのに、救助の手が届いてこないことから、日本中が壊滅的被害を負ったのかもしれない、日本は立ち上がれないほど打ちのめされたのかもしれない、と絶望感で崩れ落ちてしまわれたという。
全壊は免れ当面の雨露はしのげるとしても、到底元通りに住むことはできない自宅から這い出し、地震だったと理解した後も、家々が崩壊し道がゆがみ、助けを求める声がしだいに小さくなり途絶えてしまうのに、救助の手が届いてこないことから、日本中が壊滅的被害を負ったのかもしれない、日本は立ち上がれないほど打ちのめされたのかもしれない、と絶望感で崩れ落ちてしまわれたという。
それからしばらくして梅田にでた時の衝撃は忘れられないという。
世界は何もまったく変わっていなかった。
相変わらずそこは、瀟洒な装いに身を包んだ明るく活気に満ちた人々で溢れかえっていたという。
電車でたった30分そこそこの距離しかない所に、天国と地獄がある。
悲しみ悔しさ虚しさの入り混じった どう表現したらいいのか分からない衝撃に打ちのめされた後にじわじわ押し寄せてきたのは、しかし安堵感だったという。
変わらない日常がどこかにある限り、自分たちも立ち上がれるという、不思議な安堵感だったという。
世界は何もまったく変わっていなかった。
相変わらずそこは、瀟洒な装いに身を包んだ明るく活気に満ちた人々で溢れかえっていたという。
電車でたった30分そこそこの距離しかない所に、天国と地獄がある。
悲しみ悔しさ虚しさの入り混じった どう表現したらいいのか分からない衝撃に打ちのめされた後にじわじわ押し寄せてきたのは、しかし安堵感だったという。
変わらない日常がどこかにある限り、自分たちも立ち上がれるという、不思議な安堵感だったという。
だから、今回の被災地も被災者の方々も大変なご苦労をされているが、変わらない日常を淡々と守り続けることは重要なのだ、弱ったところがあれば他のところが尚更元気に頑張らなければならないと話された、その言葉に一同静まり返ってしまった。
その言葉に思い出した本がある。
それについては又つづく