久しぶりに、本を読んだ。
読んでその感想を書く時間などないのだが、図書館に予約していた、しかも医療系の本なので、後々自分の首を絞めることになるのは分かっていながら、我慢できず読むことにした。
「ひとつむぎの手」(知念実希人)
本の帯より
『大学病院で過酷な勤務に耐えている平良祐介は、医局の最高権力者・赤石教授に、三人の研修医の指導を指示される。彼らを入局させれば、念願の心臓外科医への道が開けるが、失敗すれば……。さらに、赤石を告発する怪文書が出回り、祐介は「犯人探し」を命じられる。医療ミステリーの旗手が挑む、スリリングなヒューマンドラマ!』
本書の舞台となる純正会医科大学附属病院を描いた作品は既にあり、登場人物も重複している。
例えば、循環器内科医の諏訪野は、本書では主人公の心臓外科医の平良祐介を後輩として、「祈りのカルテ」では主人公として、「螺旋の手術室」で主人公・冴木の友人として登場する。
そのような関連性を思いながら読むのは楽しいものだが、医師でもある作家さんというのは、このような設定を好むのだろうか。
海堂尊氏の東城大学医学部付属病院シリーズも、グッチ&白鳥が活躍するものが中心ではあるが、個々の作品で脇をかためる人物の物語も多くある。
ただ、海堂氏のそれがAi(死亡時画像診断)導入を世論に訴える手段(ある種 政治的)の感があるのに対し、知念氏の作品はヒューマンドラマの要素が強いかもしれないが、登場人物の性格や死生観の違いから、過酷な医療現場の勤務体制や、そこで女性医師が生き残ることの難しさや、終末期の治療の在り方の問題点を炙り出す手法は、なかなか巧いし考えさせられるものである。
だが、現在の私が興味深く読んだのは、主人公が研修医三人を指導する場面と、主人公が憧れ師事した恩師の最後の言葉だ。
研修医三人を誰もが敬遠するほど過酷な心臓外科に入局させれば栄転の道が拓ける主人公は、どのように指導すれば良いか悩むのだが、それに対する後輩・諏訪野や、尊敬する先輩のアドバイスは、ありのままの姿を曝け出すこと、だった。
誰かを指導する時、「ありのままの姿を見せる」ことほど難しいことはない。
「ありのまま」でお手本になれるほどの指導者はそう多くはないし、反面教師から学ぶには、学び手が優秀である必要がある。
そもそも高度な学問や技術の世界では、指導者自身が、まだまだ学びの過程であることの方が多いし、肝心の指導者自身が夢破れて、その道を究められないことも多い。
本書の主人公も、誠実で努力家でオールラウンドな治療ができる立派な医師ではあるのだが、本人が命を削るようにして目指す一流の心臓外科医には、どうあがいてもなれそうにない。
だが、指導者の真剣な姿に触れた学び手は、仮に知識や技術で受け継ぐことが多くなくとも、その道を歩むうえで一番大切なものを受け継ぐことができるのだと思う。
それが、本書のタイトルにもなっているのだろう。
主人公に、一流の心臓外科医にはなれないと引導を渡しながら、しかし違う形で命を紡ぐことができると教える、タイトルにもなっている恩師の言葉は、今の私の心に響いてくる。(『 』「ひとつむぐ手」より)
『冠動脈は心臓に血液を送る血管、つまり命に栄養している血管だ。私達は、ただ血管と紡ぎ合わせているんじゃない。
患者の人生を、ひいては「人」そのものを紡いでいるんだ』
『人を紡ぐ』
『君も、自分の形で人を紡ぐことのできる医師になるんだぞ』
自分の形で、人を紡ぐ
自分の道を、人に繋ぐ
二時間ほどで読んでしまえる本ではあったが、久しぶりに読書に割いた二時間は幸福な時間であったし、そこで今の私に必要な言葉に出会えたことも幸いだったと思っている。
追記
本書p162には、誤植がある。
祐介とすべきところが、良介となってる。
このような場合、出版社に知らせるべきなのだろうが、作家さんには敬意を払っているが、本書を刊行している出版社には近年怒りしかないので、この場で記すのみとする。
読んでその感想を書く時間などないのだが、図書館に予約していた、しかも医療系の本なので、後々自分の首を絞めることになるのは分かっていながら、我慢できず読むことにした。
「ひとつむぎの手」(知念実希人)
本の帯より
『大学病院で過酷な勤務に耐えている平良祐介は、医局の最高権力者・赤石教授に、三人の研修医の指導を指示される。彼らを入局させれば、念願の心臓外科医への道が開けるが、失敗すれば……。さらに、赤石を告発する怪文書が出回り、祐介は「犯人探し」を命じられる。医療ミステリーの旗手が挑む、スリリングなヒューマンドラマ!』
本書の舞台となる純正会医科大学附属病院を描いた作品は既にあり、登場人物も重複している。
例えば、循環器内科医の諏訪野は、本書では主人公の心臓外科医の平良祐介を後輩として、「祈りのカルテ」では主人公として、「螺旋の手術室」で主人公・冴木の友人として登場する。
そのような関連性を思いながら読むのは楽しいものだが、医師でもある作家さんというのは、このような設定を好むのだろうか。
海堂尊氏の東城大学医学部付属病院シリーズも、グッチ&白鳥が活躍するものが中心ではあるが、個々の作品で脇をかためる人物の物語も多くある。
ただ、海堂氏のそれがAi(死亡時画像診断)導入を世論に訴える手段(ある種 政治的)の感があるのに対し、知念氏の作品はヒューマンドラマの要素が強いかもしれないが、登場人物の性格や死生観の違いから、過酷な医療現場の勤務体制や、そこで女性医師が生き残ることの難しさや、終末期の治療の在り方の問題点を炙り出す手法は、なかなか巧いし考えさせられるものである。
だが、現在の私が興味深く読んだのは、主人公が研修医三人を指導する場面と、主人公が憧れ師事した恩師の最後の言葉だ。
研修医三人を誰もが敬遠するほど過酷な心臓外科に入局させれば栄転の道が拓ける主人公は、どのように指導すれば良いか悩むのだが、それに対する後輩・諏訪野や、尊敬する先輩のアドバイスは、ありのままの姿を曝け出すこと、だった。
誰かを指導する時、「ありのままの姿を見せる」ことほど難しいことはない。
「ありのまま」でお手本になれるほどの指導者はそう多くはないし、反面教師から学ぶには、学び手が優秀である必要がある。
そもそも高度な学問や技術の世界では、指導者自身が、まだまだ学びの過程であることの方が多いし、肝心の指導者自身が夢破れて、その道を究められないことも多い。
本書の主人公も、誠実で努力家でオールラウンドな治療ができる立派な医師ではあるのだが、本人が命を削るようにして目指す一流の心臓外科医には、どうあがいてもなれそうにない。
だが、指導者の真剣な姿に触れた学び手は、仮に知識や技術で受け継ぐことが多くなくとも、その道を歩むうえで一番大切なものを受け継ぐことができるのだと思う。
それが、本書のタイトルにもなっているのだろう。
主人公に、一流の心臓外科医にはなれないと引導を渡しながら、しかし違う形で命を紡ぐことができると教える、タイトルにもなっている恩師の言葉は、今の私の心に響いてくる。(『 』「ひとつむぐ手」より)
『冠動脈は心臓に血液を送る血管、つまり命に栄養している血管だ。私達は、ただ血管と紡ぎ合わせているんじゃない。
患者の人生を、ひいては「人」そのものを紡いでいるんだ』
『人を紡ぐ』
『君も、自分の形で人を紡ぐことのできる医師になるんだぞ』
自分の形で、人を紡ぐ
自分の道を、人に繋ぐ
二時間ほどで読んでしまえる本ではあったが、久しぶりに読書に割いた二時間は幸福な時間であったし、そこで今の私に必要な言葉に出会えたことも幸いだったと思っている。
追記
本書p162には、誤植がある。
祐介とすべきところが、良介となってる。
このような場合、出版社に知らせるべきなのだろうが、作家さんには敬意を払っているが、本書を刊行している出版社には近年怒りしかないので、この場で記すのみとする。