何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ワンコの樽に満ちる祈り

2015-12-28 12:36:45 | ひとりごと
このところ’’祈り’’について書いてきたので、「祈りの幕が下りる時」(東野圭吾)にも一言触れたいが、この本は図書館で借りて読んだので曖昧な記憶しかない。
曖昧な記憶となっている理由の一つに、加賀恭一郎シリーズ独特の人間関係の複雑さもあるが、より後味の悪いものとして、「やむをえなかった殺人」が上手く描かれ過ぎているというものもある。
東野圭吾氏の作品には、例えば「さまよう刃」のように被害者家族の苦しみを書いて秀逸な作品もあるが、犯罪に至っても致し方ないという加害者側の事情とやらを描くことも多く、しかもそれが人の心の琴線にふれる筆致で書かれるものだから、つい納得しそうになる。が、どこかで納得できない感が残るので、腑に落ちないモヤモヤが曖昧な記憶になってしまうのかもしれない。

本書では、殺人事件の捜査の過程で、加賀シリーズで謎とされてきた加賀刑事の母親の失踪理由とその後の足取りが明らかになる。が、その殺人事件の関係者もまた母の出奔に苦しみ、それが事件の根本原因であるため、加賀的視点で読めば「やむをえなかった殺人」になりかねない。
母出奔のあと、娘の幸せをひたすら祈る父と、父の最後の願いを叶えようとする娘。それぞれの祈りと願いのためなら手段を厭わない二人を、同じく母の失踪に苦しむ刑事が追うので、読者としても感情移入が複雑になるのだ。
事件関係者の父も加賀の母も、命尽きる瞬間まで我が子の幸せを祈っている。その祈りは、あの世へ旅立つことによってのみ幕が下されるというほど重く切ない。だが、それほどの父の祈りを受けた娘が父の為に最後にとる手段は哀しく、本の帯にもなる娘の「悲劇なんかじゃない これが私の人生」という言葉には、父が思い描いた幸せな娘の姿は、ない。

親が子の幸せを祈るのは有難いし美しいが、我が身を犠牲にしてまでの祈りは、どこかに歪みが生じてくるのかもしれない、と作者の思惑とは掛け離れているであろう印象が残っている。
ミステリーでありながら人情味ある東野氏の作品。仮に人の心の襞を描いた真骨頂として本作があるとすれば、この私の印象は的外れなのだろうが、親子関係では「勝手に赤い畑のトマト」が良い具合と考えているので、仕方がない。

『親は子を育ててきたと言うけれど 勝手に赤い 畑のトマト』 「サラダ記念日」(俵万智)より

ところで、’’祈り’’とはほど遠い「勝手に赤い畑のトマト」(的)主人公が不惑をこえ、『今日まで、私の人生は恵まれていました』と語り物語を終える「昭和の犬」(姫野カオルコ)に再び出会った。
「昭和の犬」が直木賞を受賞した直後に読んだときには、よく分からなかったが、再読した折インベーダーという章の冒頭につかまり、しっかり読み返してみれば、ジワジワ伝わるものがあった。

『よそから来るものは悪ものである・・・・・、この感覚は、人に生来備わっているものだろうか。』とインベーダーの章は始まるが、主人公イクの心の領地を荒らすのは、何も他所から来たものばかりではなく、むしろ両親こそがインベーダーであったかもしれない。
主人公イクは5歳になるまで両親のもとでは育てられず、両親に育てられるようになった後も、理不尽な怒りを爆発させる父と、およそ母親らしい気遣いのない母との生活のせいで、早い段階から家について一家言もっている。
『その家の中のほんとうのことは、その家の人じゃない人からは、わからないことだよ』
『家庭の実態は、そこに住まぬ者には見えない。見えるのはただ、窓から溢れる灯である』
これは、シベリア抑留から帰還した父を持つ、イクの実感。
イクは父の理不尽な怒りを心から恐れてはいるが、シベリア抑留の記憶に苦しむ父が夜中に悪夢でうなされ飛び起きている事や、妻子には悟られまいとしている苦しい心のうちを飼い犬にだけは語っている事を理解し、子供ながらに気付かぬフリをしている。
気付かぬフリをしているだけでー父の理不尽な怒りの爆発を考えれば、それでも十分に優しいがー父の心の疵が癒えますようになどと祈りはしない。まして娘に対して母親らしい気遣いの一つもみせない母には相当の距離感を感じている。
だが、両親が年老い介護や看護が必要になったとき、娘イクは出来る限りの世話をする。
そして、その時々に出来る限りのことを頑張っている自分を「悪くない」と思ったのだろう、『今日まで、私の人生は恵まれていました』とつぶやくのだが、このイクの言葉は「悲劇なんかじゃない、これが私の人生」という言葉とはあまりにも違う。
その違いは何処から来るのか、イクは恵まれていた人生の真ん中に昭和という時代と犬がいたと振り返っている。

そのあたりについては、つづく

ところで、本書は「昭和の犬」というだけあって、作者が人生の半分以上を過ごした昭和という時代に共に過ごした犬たちのことが書かれている。
その中で印象に残ったのは、イクが昭和の犬ベーにクイズを出すところ。
『アルプスには遭難しはった人を助けるセントバーナードていう犬がいよるんや。その犬はな、首のとこに、小さい樽をさげとるの。ペー、クイズやで。樽には何が入っているでしょう』

我が家のワンコも、心に大きな樽をさげとるの。
我がワンコの心の樽にはブランデーならぬ祈りが満ちており、家族の心を助けている。
そんなワンコは、年末年始の休診を前に、元気を注入するためワンコ病院へ行ってきた。
体重は少し減少したが、毛艶もよくチッチの状態も悪くない。
良い年を迎えよう ワンコよ。
(参照、「岐路に立ち向かう叡智」

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