何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

オラシオンの幕は~つづく

2015-12-25 12:47:09 | 
’’祈り’’の言葉が印象的な本を思い返すと、昔読んで記憶に残っているものとしては「優駿」(宮本輝)があり、最近読んだものといえば「祈りの幕が下りる時」(東野圭吾)がある
この二冊を思い出しながら’’祈り’’を考えていると、家人がクリスマスプレゼントの交換で、打ってつけの絵本をもらってきた。
「クロウディアのいのり」(村尾靖子)
絵本なので直ぐに読めてしまうが内容は極めて重く、しかも私が長年大切にしてきた言葉に通じる手紙が綴られているので、胸がつまる想いがして不覚にも目頭が熱くなってしまった。
が、ここは順当に読んだ順番に従い感想を書いてみる・・・書いてみるが、「優駿」「祈りの幕が下りる時」は今手元にないので記憶に頼るものとなる。

「優駿」(宮本輝)
一頭のサラブレッドをめぐり、馬主関係者や厩務員や調教師に騎手など様々な視点から描かれる話だが、そこは競馬の世界だけに綺麗ごとだけではすまない人間模様が描かれていた。
ただ何年かぶりに「優駿」を思い出して浮かぶのは、オラシオン(スペイン語で’’祈り’’の意味)と名付けられるサラブレッドが生まれるときに牧場の息子が祈る姿と、純粋な祈りと人間の打算的な願いを背負ったオラシオンがオラシオン自身の意思で勝ちにいくため駆ける姿だ。
牧場の若き後継者となる息子はオラシオンが産まれる時、牧場のまわりの大自然に祈りを捧げる。サラブレッドほど人為的・作為的に命が作られ継がれてきた種は世界でも希だと思うが、その誕生を祈る対象が大自然である場面から物語が始まったので、非常に印象に残っているのだ。
「良い馬が生まれますように」という若き純朴な青年の敬虔な祈りから物語が始まったとして、そこは競馬の世界を扱うだけに綺麗ごと一辺倒にはいかないが、『馬は心で走る』という本書の言葉どおり、すべての祈りと願いを背負って駆けるオラシオン自身がその意思で勝ちによく場面も鮮明に記憶に残っている。
’’祈り’’という言葉は一見純粋な印象を与えるが、祈る側と祈られる側の関係性によっては多分に打算的な計算も混じり、やがて危険を伴いうる様については本書でも『期待が過剰すぎると、落胆は憎しみに変わる』と書かれている。
だが、純粋な祈りも、過剰な期待も打算に基づいた願いも、すべてを超越したところで、祈る側と祈られる側の想いが一致する時がある。
その集大成のようなオラシオンの走りが、この物語を爽やかにしているのだと思い出したことで’’祈り’’の意味を再認識している。
もちろん’’祈り’’には懐疑的な意見もあるが、私は決して’’祈り’’を否定的にはみていない。
だが、一方的な’’祈り’’ではいけないのだとも思っている。
’’祈り’’の対象の心に沿う想いを考えることこそが、真の’’祈り’’に繋がるのだと、今は思っている。

ところで、「優駿」にはもう一つ印象的な言葉がある。
『皐月賞は調子の良い馬が勝つ
 ダービーは運の良い馬が勝つ
 菊花賞は強い馬が勝つ』

競馬をしない私には、これが正しいのか一般的に知られた言葉なのかも分からないが、この言葉で思い出すのが皇太子様だ。
2014年6月1日、皇太子様は日本ダービーを観戦された。
この時、優勝した馬が2011年2月23日生まれだっただけでなく、その馬上の横山騎手も1968年2月23日生まれ・・・だけでなく馬のオーナーの前田幸治氏も1949年2月23日生まれだったのだ。
そして、この日観戦された皇太子様が1960年2月23日御誕生。
2月23日は日本一高い富士山の日でもある。
ダービーは、もちろん運だけでは勝てないだろうが、この日の馬には間違いなく’’運’’があった。
そして、この馬の名が、ワンアンドオンリー・・・唯一無二

2014年6月1日 日本ダービー 2月23日 日本一の日

皇太子御一家の御多幸を心から祈る誓いを新たにしている。

写真出展 ウィキペディア


蛇足ながら家人の歯性感染症もどき
はかばかしい改善はない。
薬の副作用で唾液が出なくなり、唾液の減少が菌の増殖に繋がり得るという負の連鎖も起こりつつあるが、掛かりつけ医の指示に従い抵抗力が戻ってくるのを待つしかないのか、祈るしかないのか。
今日が私の実質的な仕事納で慌ただしい1日でもあり、心配事もかかえて気忙しいが、こうして違う世界に想いを馳せることで(逆に)精神的にはゆとりを得ていると感じている。



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