何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

約束の星はあるけれど

2016-05-21 23:51:25 | 
「更なる気配を」より

「大切なものを亡くした人の想いの深さゆえに其処彼処に喪ったものの気配を感じることもあれば、大切な人を残して逝った想いの深さゆえに其処彼処に気配を現すこともある」などと、「犬の人生」(マーク・ストランド 村上春樹・訳)「更なる人生を」を読んでの感想を話していると、同僚が「ワンコと約束はしていなかったのか?」と訊ねてきた。

同僚が言うには、あの世に旅立った従兄からある日葉書が届いたという。
同僚の従兄は生前、半分ふざけながら半分は本気で「自分がもし死んだら、絶対あの世からお前に連絡する。どんな方法が採れるのかは、あの世に行ってみないと分からないが、神が許してくれる方法で、絶対に連絡をする」と言っていたそうだ。
超・超現実的だった同僚は真面目に受け留めていなかったので、従兄が亡くなった後もその約束を忘れていたというが、ある日亡くなった従兄と同姓同名の人物から葉書が届いた。
白百合の絵があしらわれたハガキ裏面には、「突然違う世界に飛び込むこととなり、慣れない毎日に戸惑っておりますが、これまで支えて下さった皆様への感謝を胸に、新たな道で頑張る所存でおりますので、こちらへ起こしの際には是非お立ち寄りください」と書かれている。
なんとも微妙な文面ではないか。
その葉書には、従兄と同姓同名の名前と電話番号が記されていた。
恐る恐る従兄と同姓同名の人物のもとへ電話をかけた同僚が知った衝撃の事実とは!

ここで唐突に短編小説「犬の人生」  『 』引用部分
「犬の人生」にある「更なる人生を」は、亡くなった父の気配を蠅や馬や彼女にまで感じる「僕」の一人語りだが、題名となる「犬の人生」は気配どころか「前世は犬だった」と妻に告白する夫の話だ。

一日の終り、二人でキングサイズのベッドに横になりながら、夫は妻に語りかける『ねえ、前から君に言わなくちゃと思っていたことがあるんだよ』と。
身構える妻に夫が告白した内容は、妻が予想したどんなものとも違っていた。
夫は、『いや、実をいうとね、僕は以前は犬だったんだよ』『うん、コリーだったんだ』『幸せな生活だったな』と告白する。

『とにかく幸せだったんだよ。とりわけ秋はね。僕らは仄かな黄昏の中を飛び跳ねたものだよ。足もとで小枝がぽきぽきと心をかきたてるような音をたて、風が巡るごとに次々に鼻をつく匂いは、僕らを回想に耽らせた。焚火の匂い、焼き栗の匂い、パイを焼く匂い、凍てついてしまう前に大地がこれを最後とふっと吐き出す息、そんな匂は僕らの心を文字どおり狂おしくかきたてたものだよ。でも秋の夜はそれよりもっと素敵だったな。月光に照らされて艶やかに青く光る石、まるでお化けのような茂み、仄かにきらめく草の葉。僕らの瞳は新しい深みを帯びて輝いていた。僕らは吠え、唸り、言葉にならない声で語った。正しい声音を探し当てようと、何度も何度もそれを繰り返した 。何千年も昔の僕らのそもそもの血筋にまで届くはずの、その正しい声音を求めてだよ。もしその声音がうまく維持できたなら、それは僕らの種族のみごとに鈍化された叫びになるはずのものであり、またそこに僕らの共同体的運命(さだめ)の勝利を運び込めるはずのものだった。僕らは陶然とした大気の中に尻尾を立て、失われた祖先たちのために、僕らの内なる野生のために、歌った。ねえ、そんな夜の中にあった何かが僕には懐かしくてたまらないんだよ』

幸せで懐かしくてたまらないと言いながら、『あの頃の僕の生活には悲劇的な側面があった』という「わんこコリー・僕」。
『僕が少数の友達と連れ立って、風の吹き荒れる小さな丘の上で、鳴いているところを想像してくれ。すでに埋もれてしまった僕らの狡猾さの断片を求めて僕らは鳴いていたのだ。虜囚の身に落ちて、文明の中に心ならずも身を置いて、あともどりできない家畜化の憂き目を見て、それによって僕らがなくしてしまった誇りを求めて、僕らは吠えていたのだ。これ以上は荒々しくはなれないだろうと思える咆哮の中に、虚ろな空しさを聴き取れるころが僕には何度かあった。それに匹敵するような虚しさを僕は他に知らない』

人間である現在の妻に、犬だった頃の彼女について嬉々として話す僕。
思わず妻が問うた『つらいことだってあったんじゃないの?』という質問に、「わんこコリー・僕」は答える。
『一番嫌だったのは飼い主たちが笑うときだったね。そうなると、突然彼らが赤の他人みたいに思えてくるんだ。彼らの会話の軽やかな韻律、命令するときの鋭い声音、そういったものが、ひいひい、ごあごあ、ひっくひっく、といった唸り声に変わってしまうんだ。まるで彼らの中で何かが、絶対的な悪魔的な何かが、解き放たれてしまったみたいに感じられた。一度笑いはじめると、なかなか笑い止めることができないんだ。僕の保護者たちがそんなふうにたががはずれてしまうのを目にしていると、僕はとても怖くなったし、わけがわからなくなったものだよ。彼らの発する音声は、意味も含んでいなかったし、何かを伝えようともしていなかった。それは喜びを表すでもな く、苦痛を表すでもなかった。というか、むしろその二つが妙な具合に同時に含まれているようだった。それは人間の言葉というものが陥る特殊な場所にあって、僕はそこからは除外されているんだという気がしたものだった。まあいいさ。みんなもう過ぎてしまったことだから』

『昔犬だったとしたら、また犬になることだってあるんじゃないの?』と問う妻に、「それはない」と夫は答える。
『もう一度そうなるという記(しるし)がないからだよ。僕が犬だった頃には、自分が結局いつか今みたいになるだろうという徴候があったんだ。僕は裸でいることにどうしてもなじめなかったし、人目を忍ぶべき行為を公衆の面前で行わなくてはならないことに苦痛を感じていた。発情期の雌がこれみよがしに身繕いをしたり、尻尾を振ったりするのを目にしていると恥ずかしかった。仲間の雄たちが性欲にはあはあと喘いでいるのを見るのも恥ずかしかった。僕は引きこもりがちになった。僕は一人で物思いに耽った。僕は犬的な神経症になった。それが指し示すのはたった一つのことだ』

さすがに前世が犬だった人間が語るだけのことはある。
「わんこコリー・僕」が語る犬の行動と心情を読んでいると、我がワンコの姿がまざまざと甦ってきた。
ワンコもおそらく秋が好きだった。
暑くも寒くもないという気温の問題だけでなく、ワンコ散歩コースのポプラ並木の落ち葉を踏んだ時のパリパリという音を、ワンコは心から楽しんでいた。
ワンコ実家両親の「犬は、不満がなければ一生鳴かないかもしれない」の言葉どおり、ワンコは17年ちかくほとんど鳴き声をあげることはなかったが、昨年秋から夜中に鳴きはじめたワンコ。認知症だと診断されたが、認知症だからこそ本能が甦り、『何千年も昔の僕らのそもそもの血筋にまで届くはずの』『僕らの共同体的運命(さだめ)の勝利を運び込めるはずの』正しい声で、『失われた祖先たちのために、僕らの内なる野生のために、歌った』のかもしれない。

だが少なくとも一つ、「わんこコリー・僕」と我がワンコに違うところがある、はずだ。
わんこコリー・僕は、「飼い主が笑うときが一番嫌いだった」という。
わんこコリー・僕の観察結果「人間の笑いは人間の言葉が陥る特殊な場所にあり、そこから絶対的な悪魔的な何かが解き放たれている」には一面の真実があると思うが、それでも我がワンコは家族の笑い声が大好きだった、はずだ。
家族が笑うように時に努力してくれているようですらあった我がワンコは、家族が笑うときが一番好きだった、はずだ。

家族の言葉を、言葉に出来ない心の内を誰よりも正確に感じ取ってくれていた、我がワンコ。
君は、誰かの生まれ変わりだったのかい?
次は、人間に生まれかわるつもりかい?
もし、またワンコに生まれ変わったら、また我が家に来てくれるかい?
・・・・・生まれ変わったときに、それと知らせてくれる約束事を決めておけば良かったよ ワンコ
ワンコ お家へおいでよ ワンコ


それと知らせた同僚の従兄の話
同姓同名の人物へ電話かけると、そこは馴染みの温泉旅館だった。
先代の女将が突然亡くなり息子(ハガキの送り主)が急遽跡を継ぐことになったという挨拶の葉書だったが、訃報と若旦那就任を同時に記すことが躊躇われ中途半端な内容になってしまった、というのが事の顛末だったそうだ。
だが、それ以来、超・超現実的だった同僚は、あの世を信じるくらいの現実的な人間となり、私に大真面目に問いかけてくる。
「ワンコと約束をしていなかったのか」 と。

約束の星から帰っておいで ワンコ

更なる気配を

2016-05-20 09:51:25 | ひとりごと
家人が、「ワンコは電話もかけてくれないし、ケーキも届けてくれない」と愚痴っている。

家人の上司には、亡くなった愛猫たまから電話があったというが、我が家にはワンコからの電話は、まだない。(参照「それでも 逢いたい」
たま電話の件は知っていたが、「ケーキが届かない」とは何事か?と問うと、テレビで元警察官が「亡くなったおばあちゃんから届いたケーキ」という話をしていたらしい。

「幽霊がでるので来てほしい」との連絡をうけた警察官が、ある家を訪ねた。
夫婦が口々に言う。
「帰宅途中に近所のおばあちゃんから’’いつぞやのリンゴのお礼にケーキをどうぞ’’とケーキが一つのった皿を渡された」と訴える夫と、「そのおばあちゃんは既に亡くなっている」と言い返す妻。
ケーキをはさんで「おばあちゃんから貰った」「そのおばあちゃんは亡くなっている」と双方譲らず埒が明かないので警察官が、おばあちゃんの家を訪ねると・・・・・。
その日はおばあちゃんの四十九日で、おばあちゃんの好きだったケーキを仏壇に供えたという。
警察官の突然の訪問を訝しく思いながらも仏壇を確認したおばあちゃん家族が目にしたものは・・・・・
果たして、仏壇にお供えしたケーキがなくなっている!

こんな話をテレビでしていたので、家人の「ケーキも届けてくれない」になったようだ。

昔気質で律儀なおばあちゃんはリンゴのお礼がすまないままに旅立ったことが気がかりだったのだろうが、「それなら、ワンコも逢いにきてくれても良さそうなものだ」と私まで愚痴りそうになる。
そんなことを考えている時、「犬の人生」(マーク・ストランド 村上春樹・訳)を読んだ。
短編集「犬の人生」のなかの「更なる人生を」は、作家として不遇のままに亡くなった父の気配を其処彼処に感じる「僕」の一人語りを綴ったものだ。

「僕」は、色々なものに父の面影を見出す。
友達と歩いている時に自分の周りを飛びまわる蠅に父を感じることもあれば、趣味の乗馬に興じている最中に馬に父を感じることもある、ある時など寝室で彼女といい感じになったその時に、彼女に父を感じてしまう。
そして、不遇を嘆きながらあの世へ逝った父の想いに自分を重ね、蠅に呼びかけ、馬に語りかけ、涙ながらに彼女の手を取り「父さん」と跪く。

子供の頃には理解できなかった父の嘆きも、証券会社に勤めるようになった大人の「僕」には身に沁みて理解できる。
『結局のところ、私の領域とはいったい何だろう?
 どこかの場所や、なんらかの職業について、私は何かを知っているだろうか?ぜんぜん知らん。
 私の専門とは、空白であり、退屈の諸相であり、めいはりのない日常だ。
 私の特徴とは、捉え処のない状態だ
 ―眠りに沈み込んでいくような、そして日の光の中に彷徨いでていくような感覚だ。  
 これまでの私の人生は怠惰であり、目的を欠いていた。』
この父の嘆きに自分を重ね、蠅や馬ばかりか彼女にまで父を見出し語りかけているうちに、何かが変わり、そして父が「僕」を訪ねることはほとんどなくなるのだ。

父の訪問のおかげで「僕」が変わったのか、「僕」が変わったから父が訪問しなくなったのか、それでも時折じっと鏡を見ていると父がそばにやってきていることを感じたりする・・・・・という話。

心が欲する言葉や音楽がスーットと心に届いた時や、園芸店の店先のピンク色のマーガレットにワンコの気配を感じる私。
人として成長できた時に、ワンコの気配が薄れるのなら、いつまでもこのままでいい?

そんなことを考えながら つづく

きら²眼鏡で影を光に

2016-05-19 23:30:15 | 
この数か月の忙しさが一段落した今、脱力している。
忙しい時には、時間さえできれば、あれもしたいこれもしたいと思っているが、実際に時間ができると何もする気力がわかず、ひたすらボーっと過ごしている。
そんな区切りの先週末(15日)、母校ではないが大学(街)を訪問する機会があった。

駅から大学まで歩いている時、本好きとして気になったのは、古本屋はどこへいった?ということだった。
私が大学生の頃には大学周辺には古本屋が何軒もあり、悪徳教科書やら小説やらが天井まで所狭しと並べられていた。悪徳教科書はともかく、好きな小説は絶対に古本屋では買わないという友人もいたが、そこで授業の空き時間を過すのも、そこで見つけた本に引かれている傍線に思いを巡らせるのも、私には楽しいことだった。
そんな古本屋が訪問した大学周辺には一軒もなく、その代わりなのか、電柱に「○○教授の(悪徳)教科書譲ります、コピーあります」という張り紙ばかりが目立っていた。

それで、最近読んだ本に古本屋の場面があったことを思いだした。
「きらきら眼鏡」(森沢昭夫)
本の帯には、「古本に挟まっていた一枚の名刺から、運命が動き出す 愛猫を亡くし、喪失感にうちひしがれていた立花明海は、西船橋の古書店で、普段は読まない自己啓発系の本を買う。すると、中に元の持ち主の名刺が栞代わりに挟んであり、明海が最も心を動かされたフレーズにはすでに傍線が引かれていた―略―』とある。

愛猫を亡くした喪失感にうちひしがれながら古本屋に向かう人物が主人公とくれば、読まずにはおれないなかったが、古本屋と古本に挟まれた名刺という設定では、残念ながら短編集「淋しい狩人」(宮部みゆき)「歪んだ鏡」の方が、捻りが効いているかもしれない。
「歪んだ鏡」の、本に名刺が挟まれている理由とその後のストーリー展開は現実的で無理がなく、そのうえ古本に引かれていた傍線のフレーズ『男なんてものは、いつかは毀れちまう車のようなもんです』『毀れちゃってから荷物を背負うくらいなら、初めっから自分で背負うほうがましです』(「赤ひげ診療譚」(山本周五郎))は、短編小説に推理要素と深層心理まで加えている。
一方の「きらきら眼鏡」で古本屋が舞台となったのは、本に挟まれた名刺を登場人物の出会いの切っ掛けとしたかっただけであり、その本に引かれた傍線部分の『自分の人生を愛せないと嘆くなら、愛せるように自分が生きるしかない。他に何が出来る?』というフレーズもピリリと効く捻りではないかもしれない。
だが、物語を読み進めるうちに、他の印象的な言葉と相俟って、いい味をだすようになっていく。

「きらきら眼鏡」の主人公が読んた古本に傍線をつけていた女性には、余命宣告を受けている恋人がいた。その恋人から『限られた人生の時間を慈しむように、一分一秒を大切に使うべき』だとアドバイスを受け、きらきら眼鏡をかけることを決意した女性は言う。
『わたしね、気になる人には会ってみて、読みたい本は読んで、やりたい仕事はやろうと思うの。で、その結果、得られた感情は、一つ一つ丁寧に味わおうって思ってるんだよね』
そうすると、『人生の価値を決めるのは、その人に起こった事象ではなくて、その人が抱いた感情なのだ。~略~この世のきらきらした部分にフォーカスして、きらきらした感情を丁寧に味わえたなら、人生の幸福度は限りなく百点満点に近づいていくだろう』という事に気付くという。

主人公が上司に連れられて行ったスナックの『巨漢でマッチョなオカマさん』ゴンママも名言をくれる。
『ちょっと、あんた、人生を花束でいうなら、「幸福」は派手なバラで、「不幸」は地味なかすみ草なのよ。両方を合わせた花束は、いっそう「幸福」のバラが引き立って、とても愛すべき存在になるんだから』
ゴンママの名言はつづく。
『人生には、「不幸」も大切な要素だって・こ・と・よ』
『不幸な出来事ってのは、その裏側に必ず大切なプレゼントが隠されているんだって』

ゴンママさん曰く、不幸の裏側の見えないところに、こっそり神様はプレゼントを隠しているという。
つまり、不幸とは人生に起こった出来事に対して、自分で勝手にあとから「不幸」と名をつけるものでしかなく、この世に起こる事象はすべて単なる物理的な事象に過ぎない、その物理的な事象に対して「悲しい」という感情を後付して、それを「不幸」と呼んでいるだけなんだという。
例えば、彼女に振られたとしても、それで自分はフリーになれて、これから先もっと素敵な女性と出会えるチャンスができたのだと考えれば、「悲しい」気持ちになるのでなく、裏側のプレゼントとして前向きになれるという。
そんなことが出来るのか?
『(あまりにも悲しすぎて耐えられないときには)もう一人の自分を頭上二メートルのところに作って、そこから肉体のある自分を眺めおろしてやればいい』
『肉体のない、もう一人の自分ね。そいつの目線で、生身の自分を見下ろして、生身の自分に起きた「事象」を冷静に観察するんだって。そうすると、その「事象」に対して、生身の自分が抱いている耐えられないような感情も、しょせんは「後付け」だったことが見えてくるし、起こった「事象」の裏側にあるプレゼントも探しやすくなるんだってさ』

全く同じことを、「エースをねらえ」(山本鈴美香)で宗方コーチが言っていたと思うし、「後付け」の感情に振り回されて人生を棒に振ってはならないと「光と影」(渡辺淳一)も教えてくれているが、人間ができていない自分には、それは難しいことだと諦めていた。「災害と戦しちょるごたるある」
だが、「きらきら眼鏡」をかけることなら出来るかもしれない、そう思わせてくれる本に出会えて良かったと思うとともに、そんな出会いのある古本屋が学生(街)から姿を消していることを、とても残念に思っている。

頑張れ 本屋さん
本を読むのだ 若者よ

豊かな地に愛される皇太子様

2016-05-16 19:48:31 | ひとりごと
一限目「幸が阪急電車に乗ったなら」 二限目「毬毬を包み込むナニワ文化圏」より

三限目「豊かな地に愛される皇太子様」
「あきない世傳 金と銀」(高田郁)の主人公・幸の父は「商いは詐」と蔑んでいるが、長男・雅由は漢学に加えて経済も学び、父とは異なる考えを持っている。
『「経済禄」の一節に、「今世の諸侯は、大も小も皆、首を低れて町人に無心を言ひ」とあった。要するに武士は豪商の金銀に頼って暮らさざるを得ないのが実情だ、というのだよ。こうした武家の困窮を救うには、金銀を手に入れることこそが大事になるだろうし、そのために物の売り買いというのは益々重要になっていくだろう。おそらく、今後は治世を論じる上でも、金銀を抜きには語れない時代がくる、またそうでなければ、この国は危うい』

この雅由の言葉を読んだ時、「あさが来た」(2015年度下半期放送のNHK「連続テレビ小説」)の一場面が浮かび、それとともに江戸時代の佇まいを今に残している町並みを懐かしく思い出した。

「あさが来た」には、新政府の無理な要求に行き詰まった加野屋が、奈良の豪商(笑福亭鶴瓶)にぜぜこを借りに行かねばならぬほどに困窮する場面がある。この厄介な役目を任されたあさは、一筋縄ではいかぬ老獪な豪商を向こうにまわし啖呵を切り、加野屋の誇りを守りながらもぜぜこを借りることに成功し店の窮状を救うのだが、あさが向かった先は、本当のところは奈良の豪商ではなく黒船貿易で一儲けした新興成金だったようだ。
もちろん物語なので史実どおりではなくとも良いが、では何故奈良の豪商という設定になったのかというと、それにはやはり理由があると思われる。

奈良には大阪の堺の並んで隆盛を極めた今井町という町がある。
それは、「大和の金は今井に七分」と云われるほどで、今も江戸時代の佇まいが残る町並みが保存されているため、歴史的背景としてもロケ地としても相応しかったのだと思われるのだ。

この今井町を何年か前に旅したことがあるので、「あさが来た」の鶴瓶豪商の場面も面白く見たし、雅由の言葉も素直にうなずけたのだ。
雅由は『「経済禄」の一節に、「今世の諸侯は、大も小も皆、首を低れて町人に無心を言ひ」とあった。要するに武士は豪商の金銀に頼って暮らさざるを得ないのが実情だ、というのだよ。』と言っているが、今井町には大名諸侯が皆まさに首を低れて町人に無心を言った証拠 ―正式な入り口とは別に、身を屈めなければ出入りできないような小さな木戸のような入口をもつ屋敷― が残されている。それは、人知れずぜぜこの無心にくる武家の姿が目立たぬようにとの配慮とも云えるが、無用に腰のものを振る舞わされないようにとの用心でもあったのだろうと、説明を受けた記憶がある。

武士が「士農工商」「商いは詐」と強がったところで、結局ぜぜこの前に首を低れるしかないところが物悲しく、ここは一先ず「鬼はもとより」(青山文平)で財政難を救う藩札に命をかける侍の『藩札掛は、貧しさという、この国最大の敵と闘う。一見、商いに近い仕業に映って、その実、命を惜しむ商人には到底望めぬ務めであり、それを成し遂げうるのは、死と寄り添う武家のみだった』を思い出し溜飲を下げておくが、三限目で書こうとしていたのは、これとは又別のことだ。

今井町を訪ねたのが何時だったか正確なところは忘れたが、福田康夫総理在任中のことであったのは確かだ。
というのも、彼の地には歴代総理が「国酒」と揮毫した色紙を飾っている造り酒屋があり、最新の色紙が福田元総理のそれだったからだ。

なぜその時期にこだわっているかというと、この時期の皇太子御一家バッシングは凄まじいものがあったからだ。
バカらしい記事に続いての宮内庁長官による尤もらしい苦言を狼煙として、ネットはもちろん新聞から雑誌に至るまで、全ての情報媒体が皇太子御一家バッシング一色に染まっていた。私が彼の地を訪れたのは、ちょうど其の頃だと思うが、彼の地の人も彼の地を旅する人も、皇太子御一家に温かかった。
彼の地を案内して下さる方が、「当地は皇族方も訪問されており、特に皇太子様を御案内できたことは誠に誇らしい」などと云いながら、皇太子様が立たれた場所や座られた場所を身振り手振りを交えて話されるのを又旅行者皆が本当に嬉しそうに聞き入り、口々に雅子妃殿下のご回復と皇太子御一家のお幸せを願っている、と話されていたのは今も強く心に残っている。

長い歴史を有する町なれば、権力に楯突いた時期もあれば権力と調子を合わせた時期もあり、隆盛を誇った時期もあれば衰退期を耐え忍んだ時期もある。その時々の人間の浅ましさと醜さと、それを超える人の優しさと美しさを、長い歴史を今に守り伝えている町屋の方々はよくよく知っておられるに違いなく、だからこそ皇太子御一家がおかれている苦境も理解されているに違いない。そしてそのような町並みを懐かしがり訪ねる人も、それを推察する心があるにちがいない。
あれほどのバッシング報道の最中ではあったが、彼の地は、皇太子御一家を応援する温かい声ばかりだった。

長い歴史を有する国に住まう幸せを感じ、誠の大和魂をもつ者ならば分かっていると知る彼の地の訪問であった。

今年は神武天皇2600年祭の年。
皇太子御一家のお幸せを祈るためにも、彼の地からそう遠くない神武天皇稜を、何年かぶりにお参りさせていただこうかと思っている。

追記 
二限目「毬毬を包み込むナニワ文化圏」の文末で、三限目でナニワ文化圏用語の種明かしをすると書いておきながら忘れていたので、こっそり追記
「袖口の火事」で、「手が出せぬ」
「赤子の行水」で、「盥で泣いてる」、つまり「(銭が)足らいで泣いている」
「饂飩屋の釜」で、「湯ぅばっかり」、つまり「言うばっかり」

饂飩屋の釜にならぬように心しなければならないと、今頃追記を書きながら反省している。

毬毬を包みこむナニワ文化圏

2016-05-14 22:51:33 | ひとりごと
「幸が阪急電車に乗ったなら」より

二限目「毬毬をつつみこむナニワ文化」
丑三つ時に・・・ということはよもやないが、どちらかと云うと私は、言いたいことの半分も言えず「玄関に逆さ箒」のクチなので、ナニワ文化圏の明け透けな物言いには驚かされることが多いが、だからといってナニワ文化圏が嫌いなわけでは決してなく、むしろケッコウ好きかもしれない。
「阪急電車」(有川浩)の阪急電車内ほどの密な雰囲気に馴染む自信はないが、秘めたる領域にズケズケ入り込まれ余計なお節介を焼かれて迷惑に感じながらも、ひどく傷つくということはなく、むしろ正直なところを聞かせてもらえて良かったと思わせてしまうのが、関西弁というかナニワ文化圏の良いところかもしれない。

「あきない世傳 金と銀」(高田郁)には、そんなナニワ文化圏の情緒が色濃くでているのかもしれない。
学者の家で育った幸は、五鈴屋で働きはじめても戸惑うことが多く笑顔で人に接することができないが、そんな幸に番頭・治兵衛は「笑うたほうが宜しいで」とよく声をかける。
これも9歳の女衆が番頭に答える言葉としては、なかなかに肝が据わっていると思うが、ある時幸は「面白くもないのに笑えない」と正直に答える。
ここで、「小娘如きが、なにを小癪な」などと怒りを爆発させるようでは、ナニワの商人としては大成しない。
五鈴屋を仕切る大番頭の治兵衛は笑顔で応える。
『人というのは難儀なもんで、物事を悪い方へ悪い方へと、つい考えてしまう。
 それが癖になると、自分から悪い結果を引き寄せてしまうもんだすのや。
 断ち切るためにも、笑うた方が宜しいで』 と。
治兵衛の言葉が胸にしみた幸は、故郷を出て、女衆として初めて迎える正月に「笑ってみよう」と決心するが、その決意の理由が既にナニワ文化圏に侵されている?
『今年はなるべく笑って過ごそう。楽しくないから笑わない、というのではなく、笑顔になって福を引き寄せよう。
もう神仏には頼らないけれど、笑うことには頼ってみよう』
9歳の少女をして「もう神仏には頼らないけれど、笑うことには頼ってみよう」と決心させるあたり、恐るべしナニワ文化圏。

ナニワ文化圏の言葉は洒落っ気にも富んでいる。
お店の仕様が分からず立ち止まってしまう幸は、奉公初日から「畑の羅漢さん」と面と向かって言われるが、幸にはそれが何を意味するのか分からない。
ある時、番頭・治兵衛から『「畑の羅漢さん」で、はたらかん。つまりは働かん怠け者、という意味だす』と教えられた幸は、腹立ちや恥ずかしさよりも、おかしさが先に込上げてしまうが、治兵衛は『大坂は商いの街だす。尖ったことも丸うに伝える。言いにくいことかて、笑いで包んで相手に渡す。そうやって日日を過ごすんだす』という。
おそるべしナニワ文化圏
阪急電車はこのナニワ文化圏を走っているのだと考えれば、小説「阪急電車」(有川浩)も肯けるというもの。

ナニワ文化圏用語として他にも「袖口の火事」「赤子の行水」「饂飩屋の釜」などが紹介されていたが、その心は三限目「豊かな地に愛される皇太子様」の講説で解き明かすことにする、まだつづく。