「更なる気配を」より
「大切なものを亡くした人の想いの深さゆえに其処彼処に喪ったものの気配を感じることもあれば、大切な人を残して逝った想いの深さゆえに其処彼処に気配を現すこともある」などと、「犬の人生」(マーク・ストランド 村上春樹・訳)の「更なる人生を」を読んでの感想を話していると、同僚が「ワンコと約束はしていなかったのか?」と訊ねてきた。
同僚が言うには、あの世に旅立った従兄からある日葉書が届いたという。
同僚の従兄は生前、半分ふざけながら半分は本気で「自分がもし死んだら、絶対あの世からお前に連絡する。どんな方法が採れるのかは、あの世に行ってみないと分からないが、神が許してくれる方法で、絶対に連絡をする」と言っていたそうだ。
超・超現実的だった同僚は真面目に受け留めていなかったので、従兄が亡くなった後もその約束を忘れていたというが、ある日亡くなった従兄と同姓同名の人物から葉書が届いた。
白百合の絵があしらわれたハガキ裏面には、「突然違う世界に飛び込むこととなり、慣れない毎日に戸惑っておりますが、これまで支えて下さった皆様への感謝を胸に、新たな道で頑張る所存でおりますので、こちらへ起こしの際には是非お立ち寄りください」と書かれている。
なんとも微妙な文面ではないか。
その葉書には、従兄と同姓同名の名前と電話番号が記されていた。
恐る恐る従兄と同姓同名の人物のもとへ電話をかけた同僚が知った衝撃の事実とは!
ここで唐突に短編小説「犬の人生」 『 』引用部分
「犬の人生」にある「更なる人生を」は、亡くなった父の気配を蠅や馬や彼女にまで感じる「僕」の一人語りだが、題名となる「犬の人生」は気配どころか「前世は犬だった」と妻に告白する夫の話だ。
一日の終り、二人でキングサイズのベッドに横になりながら、夫は妻に語りかける『ねえ、前から君に言わなくちゃと思っていたことがあるんだよ』と。
身構える妻に夫が告白した内容は、妻が予想したどんなものとも違っていた。
夫は、『いや、実をいうとね、僕は以前は犬だったんだよ』『うん、コリーだったんだ』『幸せな生活だったな』と告白する。
『とにかく幸せだったんだよ。とりわけ秋はね。僕らは仄かな黄昏の中を飛び跳ねたものだよ。足もとで小枝がぽきぽきと心をかきたてるような音をたて、風が巡るごとに次々に鼻をつく匂いは、僕らを回想に耽らせた。焚火の匂い、焼き栗の匂い、パイを焼く匂い、凍てついてしまう前に大地がこれを最後とふっと吐き出す息、そんな匂は僕らの心を文字どおり狂おしくかきたてたものだよ。でも秋の夜はそれよりもっと素敵だったな。月光に照らされて艶やかに青く光る石、まるでお化けのような茂み、仄かにきらめく草の葉。僕らの瞳は新しい深みを帯びて輝いていた。僕らは吠え、唸り、言葉にならない声で語った。正しい声音を探し当てようと、何度も何度もそれを繰り返した 。何千年も昔の僕らのそもそもの血筋にまで届くはずの、その正しい声音を求めてだよ。もしその声音がうまく維持できたなら、それは僕らの種族のみごとに鈍化された叫びになるはずのものであり、またそこに僕らの共同体的運命(さだめ)の勝利を運び込めるはずのものだった。僕らは陶然とした大気の中に尻尾を立て、失われた祖先たちのために、僕らの内なる野生のために、歌った。ねえ、そんな夜の中にあった何かが僕には懐かしくてたまらないんだよ』
幸せで懐かしくてたまらないと言いながら、『あの頃の僕の生活には悲劇的な側面があった』という「わんこコリー・僕」。
『僕が少数の友達と連れ立って、風の吹き荒れる小さな丘の上で、鳴いているところを想像してくれ。すでに埋もれてしまった僕らの狡猾さの断片を求めて僕らは鳴いていたのだ。虜囚の身に落ちて、文明の中に心ならずも身を置いて、あともどりできない家畜化の憂き目を見て、それによって僕らがなくしてしまった誇りを求めて、僕らは吠えていたのだ。これ以上は荒々しくはなれないだろうと思える咆哮の中に、虚ろな空しさを聴き取れるころが僕には何度かあった。それに匹敵するような虚しさを僕は他に知らない』
人間である現在の妻に、犬だった頃の彼女について嬉々として話す僕。
思わず妻が問うた『つらいことだってあったんじゃないの?』という質問に、「わんこコリー・僕」は答える。
『一番嫌だったのは飼い主たちが笑うときだったね。そうなると、突然彼らが赤の他人みたいに思えてくるんだ。彼らの会話の軽やかな韻律、命令するときの鋭い声音、そういったものが、ひいひい、ごあごあ、ひっくひっく、といった唸り声に変わってしまうんだ。まるで彼らの中で何かが、絶対的な悪魔的な何かが、解き放たれてしまったみたいに感じられた。一度笑いはじめると、なかなか笑い止めることができないんだ。僕の保護者たちがそんなふうにたががはずれてしまうのを目にしていると、僕はとても怖くなったし、わけがわからなくなったものだよ。彼らの発する音声は、意味も含んでいなかったし、何かを伝えようともしていなかった。それは喜びを表すでもな く、苦痛を表すでもなかった。というか、むしろその二つが妙な具合に同時に含まれているようだった。それは人間の言葉というものが陥る特殊な場所にあって、僕はそこからは除外されているんだという気がしたものだった。まあいいさ。みんなもう過ぎてしまったことだから』
『昔犬だったとしたら、また犬になることだってあるんじゃないの?』と問う妻に、「それはない」と夫は答える。
『もう一度そうなるという記(しるし)がないからだよ。僕が犬だった頃には、自分が結局いつか今みたいになるだろうという徴候があったんだ。僕は裸でいることにどうしてもなじめなかったし、人目を忍ぶべき行為を公衆の面前で行わなくてはならないことに苦痛を感じていた。発情期の雌がこれみよがしに身繕いをしたり、尻尾を振ったりするのを目にしていると恥ずかしかった。仲間の雄たちが性欲にはあはあと喘いでいるのを見るのも恥ずかしかった。僕は引きこもりがちになった。僕は一人で物思いに耽った。僕は犬的な神経症になった。それが指し示すのはたった一つのことだ』
さすがに前世が犬だった人間が語るだけのことはある。
「わんこコリー・僕」が語る犬の行動と心情を読んでいると、我がワンコの姿がまざまざと甦ってきた。
ワンコもおそらく秋が好きだった。
暑くも寒くもないという気温の問題だけでなく、ワンコ散歩コースのポプラ並木の落ち葉を踏んだ時のパリパリという音を、ワンコは心から楽しんでいた。
ワンコ実家両親の「犬は、不満がなければ一生鳴かないかもしれない」の言葉どおり、ワンコは17年ちかくほとんど鳴き声をあげることはなかったが、昨年秋から夜中に鳴きはじめたワンコ。認知症だと診断されたが、認知症だからこそ本能が甦り、『何千年も昔の僕らのそもそもの血筋にまで届くはずの』『僕らの共同体的運命(さだめ)の勝利を運び込めるはずの』正しい声で、『失われた祖先たちのために、僕らの内なる野生のために、歌った』のかもしれない。
だが少なくとも一つ、「わんこコリー・僕」と我がワンコに違うところがある、はずだ。
わんこコリー・僕は、「飼い主が笑うときが一番嫌いだった」という。
わんこコリー・僕の観察結果「人間の笑いは人間の言葉が陥る特殊な場所にあり、そこから絶対的な悪魔的な何かが解き放たれている」には一面の真実があると思うが、それでも我がワンコは家族の笑い声が大好きだった、はずだ。
家族が笑うように時に努力してくれているようですらあった我がワンコは、家族が笑うときが一番好きだった、はずだ。
家族の言葉を、言葉に出来ない心の内を誰よりも正確に感じ取ってくれていた、我がワンコ。
君は、誰かの生まれ変わりだったのかい?
次は、人間に生まれかわるつもりかい?
もし、またワンコに生まれ変わったら、また我が家に来てくれるかい?
・・・・・生まれ変わったときに、それと知らせてくれる約束事を決めておけば良かったよ ワンコ
ワンコ お家へおいでよ ワンコ
それと知らせた同僚の従兄の話
同姓同名の人物へ電話かけると、そこは馴染みの温泉旅館だった。
先代の女将が突然亡くなり息子(ハガキの送り主)が急遽跡を継ぐことになったという挨拶の葉書だったが、訃報と若旦那就任を同時に記すことが躊躇われ中途半端な内容になってしまった、というのが事の顛末だったそうだ。
だが、それ以来、超・超現実的だった同僚は、あの世を信じるくらいの現実的な人間となり、私に大真面目に問いかけてくる。
「ワンコと約束をしていなかったのか」 と。
約束の星から帰っておいで ワンコ
「大切なものを亡くした人の想いの深さゆえに其処彼処に喪ったものの気配を感じることもあれば、大切な人を残して逝った想いの深さゆえに其処彼処に気配を現すこともある」などと、「犬の人生」(マーク・ストランド 村上春樹・訳)の「更なる人生を」を読んでの感想を話していると、同僚が「ワンコと約束はしていなかったのか?」と訊ねてきた。
同僚が言うには、あの世に旅立った従兄からある日葉書が届いたという。
同僚の従兄は生前、半分ふざけながら半分は本気で「自分がもし死んだら、絶対あの世からお前に連絡する。どんな方法が採れるのかは、あの世に行ってみないと分からないが、神が許してくれる方法で、絶対に連絡をする」と言っていたそうだ。
超・超現実的だった同僚は真面目に受け留めていなかったので、従兄が亡くなった後もその約束を忘れていたというが、ある日亡くなった従兄と同姓同名の人物から葉書が届いた。
白百合の絵があしらわれたハガキ裏面には、「突然違う世界に飛び込むこととなり、慣れない毎日に戸惑っておりますが、これまで支えて下さった皆様への感謝を胸に、新たな道で頑張る所存でおりますので、こちらへ起こしの際には是非お立ち寄りください」と書かれている。
なんとも微妙な文面ではないか。
その葉書には、従兄と同姓同名の名前と電話番号が記されていた。
恐る恐る従兄と同姓同名の人物のもとへ電話をかけた同僚が知った衝撃の事実とは!
ここで唐突に短編小説「犬の人生」 『 』引用部分
「犬の人生」にある「更なる人生を」は、亡くなった父の気配を蠅や馬や彼女にまで感じる「僕」の一人語りだが、題名となる「犬の人生」は気配どころか「前世は犬だった」と妻に告白する夫の話だ。
一日の終り、二人でキングサイズのベッドに横になりながら、夫は妻に語りかける『ねえ、前から君に言わなくちゃと思っていたことがあるんだよ』と。
身構える妻に夫が告白した内容は、妻が予想したどんなものとも違っていた。
夫は、『いや、実をいうとね、僕は以前は犬だったんだよ』『うん、コリーだったんだ』『幸せな生活だったな』と告白する。
『とにかく幸せだったんだよ。とりわけ秋はね。僕らは仄かな黄昏の中を飛び跳ねたものだよ。足もとで小枝がぽきぽきと心をかきたてるような音をたて、風が巡るごとに次々に鼻をつく匂いは、僕らを回想に耽らせた。焚火の匂い、焼き栗の匂い、パイを焼く匂い、凍てついてしまう前に大地がこれを最後とふっと吐き出す息、そんな匂は僕らの心を文字どおり狂おしくかきたてたものだよ。でも秋の夜はそれよりもっと素敵だったな。月光に照らされて艶やかに青く光る石、まるでお化けのような茂み、仄かにきらめく草の葉。僕らの瞳は新しい深みを帯びて輝いていた。僕らは吠え、唸り、言葉にならない声で語った。正しい声音を探し当てようと、何度も何度もそれを繰り返した 。何千年も昔の僕らのそもそもの血筋にまで届くはずの、その正しい声音を求めてだよ。もしその声音がうまく維持できたなら、それは僕らの種族のみごとに鈍化された叫びになるはずのものであり、またそこに僕らの共同体的運命(さだめ)の勝利を運び込めるはずのものだった。僕らは陶然とした大気の中に尻尾を立て、失われた祖先たちのために、僕らの内なる野生のために、歌った。ねえ、そんな夜の中にあった何かが僕には懐かしくてたまらないんだよ』
幸せで懐かしくてたまらないと言いながら、『あの頃の僕の生活には悲劇的な側面があった』という「わんこコリー・僕」。
『僕が少数の友達と連れ立って、風の吹き荒れる小さな丘の上で、鳴いているところを想像してくれ。すでに埋もれてしまった僕らの狡猾さの断片を求めて僕らは鳴いていたのだ。虜囚の身に落ちて、文明の中に心ならずも身を置いて、あともどりできない家畜化の憂き目を見て、それによって僕らがなくしてしまった誇りを求めて、僕らは吠えていたのだ。これ以上は荒々しくはなれないだろうと思える咆哮の中に、虚ろな空しさを聴き取れるころが僕には何度かあった。それに匹敵するような虚しさを僕は他に知らない』
人間である現在の妻に、犬だった頃の彼女について嬉々として話す僕。
思わず妻が問うた『つらいことだってあったんじゃないの?』という質問に、「わんこコリー・僕」は答える。
『一番嫌だったのは飼い主たちが笑うときだったね。そうなると、突然彼らが赤の他人みたいに思えてくるんだ。彼らの会話の軽やかな韻律、命令するときの鋭い声音、そういったものが、ひいひい、ごあごあ、ひっくひっく、といった唸り声に変わってしまうんだ。まるで彼らの中で何かが、絶対的な悪魔的な何かが、解き放たれてしまったみたいに感じられた。一度笑いはじめると、なかなか笑い止めることができないんだ。僕の保護者たちがそんなふうにたががはずれてしまうのを目にしていると、僕はとても怖くなったし、わけがわからなくなったものだよ。彼らの発する音声は、意味も含んでいなかったし、何かを伝えようともしていなかった。それは喜びを表すでもな く、苦痛を表すでもなかった。というか、むしろその二つが妙な具合に同時に含まれているようだった。それは人間の言葉というものが陥る特殊な場所にあって、僕はそこからは除外されているんだという気がしたものだった。まあいいさ。みんなもう過ぎてしまったことだから』
『昔犬だったとしたら、また犬になることだってあるんじゃないの?』と問う妻に、「それはない」と夫は答える。
『もう一度そうなるという記(しるし)がないからだよ。僕が犬だった頃には、自分が結局いつか今みたいになるだろうという徴候があったんだ。僕は裸でいることにどうしてもなじめなかったし、人目を忍ぶべき行為を公衆の面前で行わなくてはならないことに苦痛を感じていた。発情期の雌がこれみよがしに身繕いをしたり、尻尾を振ったりするのを目にしていると恥ずかしかった。仲間の雄たちが性欲にはあはあと喘いでいるのを見るのも恥ずかしかった。僕は引きこもりがちになった。僕は一人で物思いに耽った。僕は犬的な神経症になった。それが指し示すのはたった一つのことだ』
さすがに前世が犬だった人間が語るだけのことはある。
「わんこコリー・僕」が語る犬の行動と心情を読んでいると、我がワンコの姿がまざまざと甦ってきた。
ワンコもおそらく秋が好きだった。
暑くも寒くもないという気温の問題だけでなく、ワンコ散歩コースのポプラ並木の落ち葉を踏んだ時のパリパリという音を、ワンコは心から楽しんでいた。
ワンコ実家両親の「犬は、不満がなければ一生鳴かないかもしれない」の言葉どおり、ワンコは17年ちかくほとんど鳴き声をあげることはなかったが、昨年秋から夜中に鳴きはじめたワンコ。認知症だと診断されたが、認知症だからこそ本能が甦り、『何千年も昔の僕らのそもそもの血筋にまで届くはずの』『僕らの共同体的運命(さだめ)の勝利を運び込めるはずの』正しい声で、『失われた祖先たちのために、僕らの内なる野生のために、歌った』のかもしれない。
だが少なくとも一つ、「わんこコリー・僕」と我がワンコに違うところがある、はずだ。
わんこコリー・僕は、「飼い主が笑うときが一番嫌いだった」という。
わんこコリー・僕の観察結果「人間の笑いは人間の言葉が陥る特殊な場所にあり、そこから絶対的な悪魔的な何かが解き放たれている」には一面の真実があると思うが、それでも我がワンコは家族の笑い声が大好きだった、はずだ。
家族が笑うように時に努力してくれているようですらあった我がワンコは、家族が笑うときが一番好きだった、はずだ。
家族の言葉を、言葉に出来ない心の内を誰よりも正確に感じ取ってくれていた、我がワンコ。
君は、誰かの生まれ変わりだったのかい?
次は、人間に生まれかわるつもりかい?
もし、またワンコに生まれ変わったら、また我が家に来てくれるかい?
・・・・・生まれ変わったときに、それと知らせてくれる約束事を決めておけば良かったよ ワンコ
ワンコ お家へおいでよ ワンコ
それと知らせた同僚の従兄の話
同姓同名の人物へ電話かけると、そこは馴染みの温泉旅館だった。
先代の女将が突然亡くなり息子(ハガキの送り主)が急遽跡を継ぐことになったという挨拶の葉書だったが、訃報と若旦那就任を同時に記すことが躊躇われ中途半端な内容になってしまった、というのが事の顛末だったそうだ。
だが、それ以来、超・超現実的だった同僚は、あの世を信じるくらいの現実的な人間となり、私に大真面目に問いかけてくる。
「ワンコと約束をしていなかったのか」 と。
約束の星から帰っておいで ワンコ