「共感疲労」という言葉があるそうだ。
震災や戦災の報道を見て、
自分事のように悲しみや苦しみを共感し、
心を寄り添うことが続いたり度を超すと、
心身に負担がかかり参ってしまうというものだ。
なかなか むつかしい問題だ。
悲しいニュースを見て
平然としているような人間になりたくはないが、
かといって、世界中で起こることを自分事にしていたのでは
身が持たない。
自分自身の人生に於いて起こりうる喜怒哀楽は
素直に受け入れるしかないが、
社会で起こることを、
どこまで自分事として受け入れるか・・・
記事には、楽しいことがあれば笑っていいのだ、
と書いてある。
確かにそうあるべきだろう。
著名人や政治のリーダーが
ノー天気に振舞いSNSなどで発信していては人格を疑うが、
我々一般人がそこまで世界を背負うことはできない。
情報社会の光と影だが、
それぞれがバランスをとっていくしかないのだろう。
2024年1月7日 中日新聞
震災や戦災の報道を見て、
自分事のように悲しみや苦しみを共感し、
心を寄り添うことが続いたり度を超すと、
心身に負担がかかり参ってしまうというものだ。
なかなか むつかしい問題だ。
悲しいニュースを見て
平然としているような人間になりたくはないが、
かといって、世界中で起こることを自分事にしていたのでは
身が持たない。
自分自身の人生に於いて起こりうる喜怒哀楽は
素直に受け入れるしかないが、
社会で起こることを、
どこまで自分事として受け入れるか・・・
記事には、楽しいことがあれば笑っていいのだ、
と書いてある。
確かにそうあるべきだろう。
著名人や政治のリーダーが
ノー天気に振舞いSNSなどで発信していては人格を疑うが、
我々一般人がそこまで世界を背負うことはできない。
情報社会の光と影だが、
それぞれがバランスをとっていくしかないのだろう。
2024年1月7日 中日新聞