羽田空港で起こったJAL機と海保機の衝突炎上事故の原因が少しづつ分かってきました。
管制官は、海保機に滑走路外の停止線で留まるようにと指示を出し、JAL機には着陸許可を出していたようですが、その際海保機に「NO1」という言葉を出し、これを海保機の機長が勘違いして「NO1の離陸」と思って滑走路に侵入したようです。
そこで海保機は、離陸許可を待っていたのか40秒ほど留まり、海保機が離陸しようと出力を上げた直後にJAL機が接触したようです。
海保機機長は「離陸許可を得た」と証言していますが、これが勘違いだったというのです。
また、管制官が滑走路上の海保機を確認できなかったことと滑走路上の機体を確認するモニターを誰も見ていなかったことも事故原因の一つだとか…。
こうしたことが重なって、今回の事故が起きたのではないでしょうか。
滑走路上の飛行機の衝突事故は、これまで何度も発生して、そのたびに様々な改良がなされてきましたが、結局複数の人間の確認作業がなされなかったことが事故の原因になるということです。
いくら複数の人が確認作業をしていても、どこまで行っても人間のすることにミスはつきものです。
こうした作業をすべてAIに任せるようにすれば、事故は起きないかもしれませんが、そのAI自体が故障したらもっと大変なことになります。
まあ、おかしな話ですが、本来空を飛べない人間が飛行機なんてもので、鳥と同じように空を飛んで移動するなんてことを考えたから、こんな事故が起きたんですね。
時代錯誤のお話と分かっています。
人間の歴史は、便利さを追求するものでもありました。
しかし、その発達は第2次世界大戦が終わってから急速に実現したものです。
そのせいで地球は温暖化し、人類そのものが危機に陥っているのも、また事実(信じたくありませんが)…。
人類は、この先どうやって、自らの命と母なる地球を守っていくのでしょう。
じいちゃんなんて、その中で最も科学技術の発達を享受してきた世代です。
戦後10年経って生まれ、映画(フィルム)~TV~VTR~CG~NETという世界をリアルタイムで経験し、楽しんできました。
その時代の流れの中で、自身の仕事を得て、家庭を築き、今はノホホンと暮らしています。
能登半島地震などの大災害も経験せず、温暖で雪さえほとんど降らない名古屋に生まれ、次男の嫁の実家がある石川県珠洲市の両親・家族を心配するだけ…。
東京で大学生活を送り、仕事のノウハウをある程度覚え、名古屋に帰った理由は「東京が、あまりに地震が多くて怖い」からです。
なんせ、名古屋に生まれてから大学で東京に行くまで、地震の経験なんてほぼありませんでしたからね。
帰名してからも、大きな地震はほとんどなく、快適な生活を営んできました。
能登半島地震が発生した時、ちょうど正月の帰省をしていた次男の嫁に「地震ばかりの珠洲になぜご両親は住み続けるのか」というバカな質問をしたら「先祖代々暮らした土地だから」という答えが返ってきました。
それは当然のことで、じいちゃんも先祖代々、この地方で暮らしていますからね。
管制官は、海保機に滑走路外の停止線で留まるようにと指示を出し、JAL機には着陸許可を出していたようですが、その際海保機に「NO1」という言葉を出し、これを海保機の機長が勘違いして「NO1の離陸」と思って滑走路に侵入したようです。
そこで海保機は、離陸許可を待っていたのか40秒ほど留まり、海保機が離陸しようと出力を上げた直後にJAL機が接触したようです。
海保機機長は「離陸許可を得た」と証言していますが、これが勘違いだったというのです。
また、管制官が滑走路上の海保機を確認できなかったことと滑走路上の機体を確認するモニターを誰も見ていなかったことも事故原因の一つだとか…。
こうしたことが重なって、今回の事故が起きたのではないでしょうか。
滑走路上の飛行機の衝突事故は、これまで何度も発生して、そのたびに様々な改良がなされてきましたが、結局複数の人間の確認作業がなされなかったことが事故の原因になるということです。
いくら複数の人が確認作業をしていても、どこまで行っても人間のすることにミスはつきものです。
こうした作業をすべてAIに任せるようにすれば、事故は起きないかもしれませんが、そのAI自体が故障したらもっと大変なことになります。
まあ、おかしな話ですが、本来空を飛べない人間が飛行機なんてもので、鳥と同じように空を飛んで移動するなんてことを考えたから、こんな事故が起きたんですね。
時代錯誤のお話と分かっています。
人間の歴史は、便利さを追求するものでもありました。
しかし、その発達は第2次世界大戦が終わってから急速に実現したものです。
そのせいで地球は温暖化し、人類そのものが危機に陥っているのも、また事実(信じたくありませんが)…。
人類は、この先どうやって、自らの命と母なる地球を守っていくのでしょう。
じいちゃんなんて、その中で最も科学技術の発達を享受してきた世代です。
戦後10年経って生まれ、映画(フィルム)~TV~VTR~CG~NETという世界をリアルタイムで経験し、楽しんできました。
その時代の流れの中で、自身の仕事を得て、家庭を築き、今はノホホンと暮らしています。
能登半島地震などの大災害も経験せず、温暖で雪さえほとんど降らない名古屋に生まれ、次男の嫁の実家がある石川県珠洲市の両親・家族を心配するだけ…。
東京で大学生活を送り、仕事のノウハウをある程度覚え、名古屋に帰った理由は「東京が、あまりに地震が多くて怖い」からです。
なんせ、名古屋に生まれてから大学で東京に行くまで、地震の経験なんてほぼありませんでしたからね。
帰名してからも、大きな地震はほとんどなく、快適な生活を営んできました。
能登半島地震が発生した時、ちょうど正月の帰省をしていた次男の嫁に「地震ばかりの珠洲になぜご両親は住み続けるのか」というバカな質問をしたら「先祖代々暮らした土地だから」という答えが返ってきました。
それは当然のことで、じいちゃんも先祖代々、この地方で暮らしていますからね。