阪神淡路大震災からもう29年も経ちました。
このブログでも何度か書きましたが、あの日のことは忘れられません。
奥美濃へのロケがあって普段より早めに起きて準備してたら、名古屋のマンションの3階に住んでいたじいちゃんちでもすごく揺れて、家族の心配をしながら仕事に出かけました。
まさか、その揺れが関西地方であったとは知らぬまま、仕事を終えて名古屋の会社に戻った夕方に、同僚たちがTVを囲んで阪神高速道路がぶっ倒れている様子を見ていました。
大阪支社は大騒動だという話を聞き、連絡のつかない顔見知りの社員もいるという話で心配したのを覚えています。
その後、社員や関連会社の人たちは皆無事だったという話を聞いて、ホッとしましたね。
地震から2週間くらいして、大阪支社の片付けに応援部隊で駆け付けました。
撮影機材などが散乱し、滅茶苦茶になった部屋を片付け、3日ほど会社に寝泊まりして帰名しました。
あっという間の29年…。
その頃現役で働いてた同僚たちは、みんな定年を迎えました。
東日本大震災や先日の能登半島地震など、甚大な被害が出るたびに、あの時を思い出します。
これまでなんの被害もなく名古屋に住んでるじいちゃんが鮮明に思い出すあの時を現地で過ごした人々には忘れられない思いがあるでしょう。
地震列島のど真ん中にいながら、これまで大地震に見舞われなかった自身の幸せを噛みしめています。
能登で暮らす人たちが、少しでも早く以前の暮らしに戻れるように心底から祈っています。
このブログでも何度か書きましたが、あの日のことは忘れられません。
奥美濃へのロケがあって普段より早めに起きて準備してたら、名古屋のマンションの3階に住んでいたじいちゃんちでもすごく揺れて、家族の心配をしながら仕事に出かけました。
まさか、その揺れが関西地方であったとは知らぬまま、仕事を終えて名古屋の会社に戻った夕方に、同僚たちがTVを囲んで阪神高速道路がぶっ倒れている様子を見ていました。
大阪支社は大騒動だという話を聞き、連絡のつかない顔見知りの社員もいるという話で心配したのを覚えています。
その後、社員や関連会社の人たちは皆無事だったという話を聞いて、ホッとしましたね。
地震から2週間くらいして、大阪支社の片付けに応援部隊で駆け付けました。
撮影機材などが散乱し、滅茶苦茶になった部屋を片付け、3日ほど会社に寝泊まりして帰名しました。
あっという間の29年…。
その頃現役で働いてた同僚たちは、みんな定年を迎えました。
東日本大震災や先日の能登半島地震など、甚大な被害が出るたびに、あの時を思い出します。
これまでなんの被害もなく名古屋に住んでるじいちゃんが鮮明に思い出すあの時を現地で過ごした人々には忘れられない思いがあるでしょう。
地震列島のど真ん中にいながら、これまで大地震に見舞われなかった自身の幸せを噛みしめています。
能登で暮らす人たちが、少しでも早く以前の暮らしに戻れるように心底から祈っています。