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戦後の昭和は遠くなる

2013年02月09日 | 日記
こ数日寒い日が続いている
立春も過ぎ陽も大分長くなって来た
寒い日や雪がぱらつく日などは散歩も億劫になる
ただテレビを見ているのも時間の無駄だし...。

こで戦後すぐの昭和から生きてきた自分の自叙伝
余りボケない内に記憶をたどりながら書いてみようと言う気持になる
自叙伝と言ってもそんなに立派に生きてきた訳ではない
自分の生きざまや昭和の時代を懐かしく思い記憶をたどる

さい頃の写真は少し残っているもののその当時は誰でもがカメラを持ってはいなかった
多分、頼んで撮って貰ったものと思われる
商家の次男として生を受けて4歳頃の写真と思われる


着も多分お袋がネンネコをほどき仕立て直したものであろう
この頃は着るものも余りなく多くの家庭がこうであったと思われる
ズボンも何かの生地をほどき仕立て直したものだろう
靴もゴム靴

のようにコンクリート打ちした店先では無い
土の上に炭俵をほどき敷いてある
こんな昭和の戦後の時代であった

性の服装と言えば大部分が和服である
その当時洋服を着る既婚女性は少なかった記憶がある
隣家が後ろに見える

この家でもこの様なトタン屋根のバラック
今の人は到底こんな家があったとは想像できないだろう
そして団塊の世代と呼ばれるベビーラッシュ
この様な家に5人、いや7人ほどの家族がひしめき合って暮らしていたものだ
そんな時代の幼少期であった


分の記憶の中で一番古い頃の記憶と言えば...。
3歳頃の記憶と思う
保育園に行く頃の記憶だろうか
その頃の思い出もインパクトの強い記憶でなければ残っていない
戦後間もない昭和の世界
懐かしく思い出している

のようにテレビなんぞは無い
あってもラジオ
それも途中で鳴らなくなる様なラジオ

父が相撲中継や浪曲を聞いている
途中で聞こえなくなる
ラジオを叩く
また聞こえ出す
そんな光景が懐かしく思い出される


電話なんかはない
電話は「おでい様」(金持ち)の家でなければ無い
そこでその家に電話をして呼び出してもらう
当時の家族構成の書類には呼び出し電話番号があった記憶がある

の当時、電話がある家は嫌な顔一つしなくて「電話ですよ」と告げてくれる
お風呂も全ての家にある訳がない
銭湯が遠ければもらい湯に来る

かどうかの一品料理を作って来てそこで井戸端会議
子供心に近所付き合いはそれが普通であると思っていた
だから鍵なんぞかけて外出した事は無かった
隣家にちょっと留守をするがと一言お願いするだけであった
そんな昭和の時代である

んな昭和の世界を思い出しながら思い出をつづっている
小学校入学までの思い出がすでに原稿用紙10枚に達する
自分が生きて来た証
次の世代になってこれを読む機会があれば生き方が伝わるかも
と思いつづり続けたい