和紙の歴史を見ると、
610年 (推古18年)に高句麗の僧、
曇徴(どんちょう)が墨とともに、
日本に製紙法を伝えてからと言われていますが、
それ以前に、
紙漉き(かみすき)が、
行われていたという説もあります。
伝えられた当初、
使われていた材料は「麻」でしたが、
その後、
「コウゾ」や「ミツマタ」や「ガンピ」などの植物も、
原料として使われるようになり、
紙を漉く方法にも改良が加えられ、
日本独自の、
“和紙”として発展していったようです。
なお、
日本の三大和紙は、
福井県「越前和紙」・岐阜県「美濃和紙」・高知県「土佐和紙」
越前和紙のハガキも便箋も持ってます。
美濃和紙は障子紙で使ってますし、
土佐和紙(麻紙も)は絵画で使いました。
ところで、
200年以上たっているであろう、
使い込まれて、
布のように柔らかになっている和紙を、
見たことがあるのです。
それで、
和紙の丈夫さについて、
簡単実験することにしました。
和紙とひとくくりに言っても、
色々な和紙があるようですので、
巻き紙になっている美濃障子紙(和紙)を使い、
比較にはコピー用紙(洋紙)を使いました。
植林木パルプ使用とあります。
両方を、
丸めたり揉んだりを繰り返すことにしましたが、
洋紙は3回目に周りが破れました。
10回目で大きく亀裂しましたので、
丸めることは終了。
それに比して、
和紙のほうは強く力を加え、
丸めれば丸めるほど、
より滑らかになっていくんです。
30回丸め、
10回揉みましましたが、
周りも切れませんし、
より手触りがよくなっていく感じなのです。
和紙は丈夫だと、
つくづく思いました。
1500年の伝統がある、
越前和紙の動画がありました。
↓
伝統和紙産業が、
ずっと続いていきますように。
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第25回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
越前の紙漉きを見に、
まひろ父子は行きましたね。
まひろの紙漉きを見る目がキラキラしてました。
紙は当時、
超貴重なものでしたからね。
そして、
押せ押せの(笑)恋文が宣孝から届き、
帰京をするまひろ。
でも心には忘れられない道長がいる。
私は誰を想って都へ帰るんだろう。
琵琶湖に浮かぶ、
まひろたちを乗せた小舟は、
いい映像でしたね~
さて、
(はて、わざわざなんで行ったんだ。ドラマとはいえ失礼では)
宣孝は道長に山城守拝命のお礼に行き、
道長君、
君の想い人のまひろを妻にするぜ。
どうだい、
僕の勝ちじゃないか。
なんて、
嫌味ですよね。
宣孝の態度が悪いので、
宣孝の心の声を、
かってに私が置き換えましたが(笑)
道長の胸中は複雑でしょうね。
なお、
ドラマでの進行では前後してますが、
一条天皇はまだ10代。
定子を想う気持ちは十分理解できます。
立派で聡明な一条天皇が、
わがままを押し通したのは、
定子のことだけだったようです。
なお道長が、
左大臣を辞めるという辞表を3回提出したというのは、
史実だったわけですが、
辞表を出したのはドラマと違い、
道長の病気故ときいてますけどね。
ですので、
鴨川の大洪水迄一条天皇のせいにしては、
なんだかお気の毒なような。
でもドラマドラマ!!と実資の口調で。
(上記3枚の写真はNHKからお借りいたしました)
雨に濡れていた内裏の屋根は、
檜皮葺(ひわだぶき)になってましたね。
もちろん、
本物の檜皮ではないようですが、
セットも凝ってますねぇ。
998年・・・
安倍晴明の予言通り凶事が続きます。
長くなるので、
また来週。