藤原定家(1162~1241)が、
京都・小倉山の山荘で選んだとされる、
小倉百人一首(おぐら ひゃくにん いっしゅ)は、
歌がるたとして広く用いられております。
中学のころ暗記させられた、
思い出がある方もおいでることでしょう。
飛鳥時代から、
鎌倉時代までの歌人、
100人が取り上げられておりますが、
そのうち女性は21人で、
17人が宮仕えの女房達の歌だそうです。
あとの4名は、
持統天皇・式子内親王(しきしないしんのう)・
そして母親2名。
下はドラマに登場した6名。
儀同三司の母( 伊周 の母)
右大将道綱の母
紫式部
和泉式部
清少納言
赤染衛門
追記
わだじゅんさんよりのコメントから、
「五色百人一首」というのを知りましたので、
追記致します。
五色百人一首(ごしょくひゃくにんいっしゅ)は、
小倉百人一首(以下、百人一首と表記)を、
20枚ずつ5色「青・桃・黄・緑・橙」の札に色分けした教材です。
札が20枚のため、
一試合を約3分間で行うことができるので、
授業の隙間時間でも有効に活用することができます。
また、20枚ずつ無理なく覚えることができます。
教室で子ども2人が机を合わせて試合をすることができ、
教室の人数に合わせて4人でも行うことができます。
情報に感謝です。
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第38回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
光る君の物語読みました。
引き込まれました。
男のうつけぶりを笑いものにするところ、
どれもおみごとでございます。
才気あふれている・・・
とかなんとか、
最初は源氏の物語を誉めていた、
ききょう(清少納言)。
しだいに藤式部(紫式部)への口調が、
荒々しくなっていきましたね。
帝のお心から、
「枕草子」の存在をなきものにしてくれと、
左大臣から頼まれたのですか。
私は腹を立てておりますのよ。
源氏の物語を恨んでおりますの。
次々ぶちまける清少納言。
帝(一条天皇)のお気持ちが、
定子から彰子へと動いていったわけですから、
そう思われるのも無理ないことです。
しかし、
1000年経っても貴女さまの『枕草子』は、
煌々(こうこう)と輝いておりますよ。
貴女さまが『枕草子』に、
星は昴(すばる)と書かれたことで、
あの六連星(むつらぼし)を見上げた方は多いでしょうし、
春はあけぼのという始まりは、
子供たちだって知っておりますよ。
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
なお、
史実においてはドラマのような、
紫式部対清少納言の、
直接対決は無かったと思うのですが、
何かがあったから紫式部も日記に、
清少納言の悪口をしたためたんでしょうね。
でも紫式部は、
その部分を後世に残すつもりで、
書き留めたわけではなかったかもしれず、
それを想うと、
現代のわれわれにまで読まれるのは、
お気の毒でもあります。
日記を読みとくにも、
色々な方面から見ていかないと、
当時の真意はわからないと思いますけどね。
<書いてある:残されている>
こうしたことだけでの判断は危ういような。
で、
ドラマに戻ります(汗)と、
月を見ている藤式部に声掛けをした、
宮の宣旨(小林きな子さん)は、
なかなか良い人なのですねぇ。
それなりに物事をまなんできたゆえ。
と、
藤式部に言うのですが、
うんうん、
伊達には年をとりませぬよね。
あの方が出てこられると、
ホッコリした中に厳しさもあり、
その場も引き締まるような気がするのです。
和泉式部再登場。
貝合(かいあわせ)をやってましたね。
造花のようでしたが(笑)
藤の花びらが舞い散り綺麗な場面でした。
彰子に甘える敦康親王(あつやすしんのう)。
『源氏物語』の、
光源氏を思い出すな~と思って観ていたら、
道長も、
その部分を読んでいて(笑)
「これは2人を早く離さねばイカン」と想ったんですね。
ですが、
家の繁栄のためではなく、
民のために良い政を行うことが目的なのだ。
と、
息子に諭すところは、
父親の兼家に似てきましたよね。
正妻の倫子は、
俺が今日あるのはそなたのおかげである。
と、
道長に言われ、
自信を取り戻した感じで、
落ち着き払った笑顔でしたねぇ。
同じく、
道長の妻?妾?の明子のほうは、
道長の息子・頼通(よりみち)に対して、
意外に素直で、
なにか意味ありげな感じでしたけれど。
それにしても伊周(三浦翔平さん)。
何もかもお前のせいだ~~
と、
狂気のような感じになってます。
再び参内を許されたというのに、
凋落がお気の毒です。
長くなるのでまた来週。
(映像写真はNHKさんよりお借りいたしました)