白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・ポストモダンからポストトゥルースへの断片「ある軽蔑」

2025年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

百瀬文の新連載エッセイにこうある。

 

「『なんで自分たちが一緒にいることを、わざわざお上に言わなきゃいけないんだと思う?』

 

父はわたしにそう答えた。たしかわたしは小学校高学年くらいで、『お上』という言葉のニュアンスもなんとなくわかっていたはずだった」(百瀬文「くぼみにふれる(1)」『群像・2・P.33』講談社 二〇二五年)

 

読んでいると、たった一頁目に出てくる箇所なのだが視線はすでにそこで一度止まりそこで止まったままある光景を思い出させた。

 

大学入試を間近にひかえた高校三年の秋の終わりのことだ。帰宅途中の電車のなかで友人のひとりがこっそり教えてくれた。

 

「お前のこと、軽蔑してるて言うてるやつがおるんよ」

「軽蔑?」

「まあお前にしたら当たり前のことしてるだけかもしれんけど、周りから見たらさっぱりわからんいうか、見せびらかしてるわけやないのに侮辱に感じることてある言うたらええんかな」

「俺なんていつも教室の隅のほうでーーー」

「いや、それなんや、結構目立つんやて」

「はあ?」

 

とりあえず誰がなぜという気持ちが湧き起こるのを抑えきれず友人に尋ねるとその本人の名前を教えてくれた。同じ学年の女子生徒のひとりだった。三年間のあいだでクラスも一度は一緒になったことがある。休み時間だけでは足りないかもしれないという気がしたので出来れば昼休憩を見はからって実際に会って聞いてみようと思った。

 

会うのは簡単な話だ。顔見知りでもある。昼食が終わってしばらくした頃にそのクラスへ行ってみるとつかまえることができた。友人からこんな話を聞かされたんやけどと伝える。返事はすぐ返ってきた。

 

「なんでそんなに勉強すんのん?みんな見てるやん」

 

言われてみれば確かに軽蔑に近い何かが籠っているには籠っているのだが軽蔑というよりその言葉が醸し出す或る種のニュアンスが突きつけてくる事情というものがありそこへ不意に思い至った。その女子生徒は大学受験自体と無関係な立場だった。高校を卒業すればもう後の人生はすべて用意されているに等しい立場である。そんなふうに「お膳立て」された人生以外はまず家族から認められない。だから好きなことをやるにしてもほどほどに許される範囲であり高校の卒業式が終わると同時に強制終了されなければならない。女子生徒は目に涙を浮かべていた。

 

言葉を失いそうになりはするもののなるほどそれを言われてしまうと言われた側としてはわけもなく申し訳ない気持ちになる。今の高校をめぐる社会事情を考えると必ずしもそうではないかも知れないが。ともかく当時は他のクラスメート以上に勉強することが不可避的に罪悪感へ置き換わり得ることがあった。経済的な面でも性別的な面でも。

 

さらに経済学部や工学部ではなく文学部志望という点で聞く側の神経を逆撫でするものがあったようだ。女子生徒の前では言葉を濁すほかなかったが志望する学部については家の中で父が鼻から反対していた。父は中学・高校・大学と関西の大手私学をするする卒業し定年まで一貫して安定した公務員を務めた。その息子であり長男でもある限り大学へ進学するなら経済学部以外考えられないしてっきり経済学部に違いないと思っていたらしい。

 

父を説得してくれたのは母である。母は戦時中の生まれであり大金持ちとはさらさら関係のない家庭で育ったせいかそもそも大学進学が許されない環境を甘受するほかなかった。「大学」という言葉自体に夢まぼろしのような憧れを重ねて見ているのは子どもなりにもわかった。

 

もっとも母にとって長男が大学進学するとすればもしかしたら文学部志望かもという直感的なものは随分以前からあったようだ。息子の小学校高学年から中学生時代。周囲は横浜銀蝿のレコードを買って似たようなぶっといズボンをはいているのに息子はほんの僅かばかりだが何か決定的に違っていることにいち早く気づいていた。週末になると当時流行っていた横浜銀蝿ではなく忌野清志郎そっくりの格好に着替え頭髪を逆立ててヒールの高いレディース向けサンダルを履いて新京極あたりをうろうろしに行く。秋になると周囲は赤と黒のストライプでデザインされたどぎつい色調のカーディガンなのだがそうではなくうっすらと中が透けて見える薄めの白いカーディガンを羽織る。

 

ギターを持たせてみると大音量のヘビメタを弾き始めて家族を辟易させつつも時折りメンデルスゾーンやベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のスコアを買ってきて何やらいろいろ考えながら意味不明なフレーズを思いついてひとりで悦に入っている。これでは経済学部から中央官庁どころか正反対に文学部志望から芸術家とか、ある意味馬鹿っぽいことを本気で言い出しかねないとうすうす気づいていたふしがあった。

 

百瀬文に戻ろう。初回しか読んでいないけれども前に連載していた「なめらかな人」について。その書評で武田砂鉄は言っていたと思う。「世の中を背負わない」(武田砂鉄「なめらかな人/百瀬文 書評」『群像・2024・7・P.606』講談社 二〇二四年)。

 

なるほど「世の中を背負わない」でいいのだろう。けれども「世の中を背負わない」という言葉はそれ自体がアジテーションとして機能し拡散することを妨げない。むしろアジテーション化を意図しているのかも知れない。その是非は別として、別のところで、「世の中を背負わない」という言葉へ殺到してくる人々が今や日本にはわんさといるという動かしようのない実情が「世の中を背負わない」にもかかわらず百瀬文をして今の日本で同意し賛同し殺到してくる様々な人々が抱える苦悶を「背負う」よう要請されてくる。この逆説に百瀬文が答える義務は必ずしもない。ところがまるっきり答えないわけにもいかない立場へ不可避的に押し出されていることも避けようのない事実である。今後の展開を見ないとわからないというほかない。


コメントを投稿