ロシア海軍黒海艦隊の旗艦「モスクワ」が、ウクライナのミサイルで撃沈したニュースを見ていた妻は、手をたたいて喜んでいました。
妻は、宇都宮市郊外に住んでいました。国民学校三年生の帰校は何時も長兄と一緒でした。その日はたった一人での帰校途中でしたが、米軍P51マスタングから機銃掃射をされて危うくドブに逃げ込んで難を避けました。上から下までずぶ濡れになって泣きながら自宅に帰ったそうです。
ウクライナの住宅街がミサイル攻撃で滅茶滅茶になっているニュースを毎日々々テレビで見ていると、あれこれの東欧の歴史やNATO加盟がどうのこうのと言うへ理屈は、すっ飛んでしまいます。
プーチンのウクライナ侵略を止めるために、平和の声を一つにしていきましょう‼
天皇裕仁空襲後の視察
管理人がロシア大使館へ送ったハガキ
日中友好協会東京都連事務局長北中一永さんがロシア大使館に送ったハガキ
(了)