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髙嶋伸欣<私見>森発言の根源にある『教育勅語』の男尊女卑徳目の羅列再評価の動 きにも注目を!

2021年02月08日 | 憲法・平和・人権・防衛

友人の川口重雄さんからのメールを転載します。

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各位       2月8日〔本日第2信〕

高嶋伸欣さんから、森喜朗女性蔑視発言問題についての情報です。

それでは。川口重雄拝

追伸:ただ今、特集:森喜朗東京5輪組織委員長 女性蔑視発言プリントを作成中です。

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Subject: <私見>森発言の根源にある『教育勅語』の男尊女卑徳目の羅列再評価の動きにも注目を!

皆さま  髙嶋伸欣です

1.森喜朗氏の暴言に対する内外の批判とは別に、なぜこのような差別的認識が日本社会には根強くあるのかを考えると、私たち教育関係者の在り方に繋がる話題でもあると思えてきています。

2.添付資料①は、森氏が首相だった時に「教育勅語」の「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ~」の徳目を羅列した部分まで否定したのは行き過ぎがと発言した時の記事です(5月10日の記事は『朝日新聞』です)。森氏が歴代首相よりもこの件に執着していたことが分かります。

3 そしてその「教育勅語」の徳目は男尊女卑の思想に染め抜かれていることが、教育史では定説です。そのことがもっともよくわかるのが「夫婦相和シ」が本来(原文)では「夫婦別アリ」で「妻は黙って夫に従うものと女子生徒は心得よ」という意味だとされているところです(添付資料②)。

4 ちなみに私がいた筑波大学附属高校の「現代社会」に授業(1年生)でこのことを添付③のような質問の順番で明らかにした時、最初にこの差別的な意味に気づいたのは女生徒でした。

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  「『教育勅語』は全てが間違っている」として無効・失効決議をしたのは行き過ぎ?
                                        
[問1] 「教育勅語」が戦後、全てが間違っているとして国会で無効・失効決議などがされたのに対して、「全てが間違っているのではない。今の時代にも当てはまることがある。それらまで否定したのは行きすぎだ」と主張する人たちがいます。そのように主張する人たちがいう「今の時代にもあてはまること」とは「教育勅語」のどの部分のことですか?
<答え> 5行目の「爾臣民」の次からの「父母ニ孝ニ兄弟友ニ夫婦相和シ朋友相信ジ恭倹己ヲ持シ~~国法ニ遵ヒ」という具体的な道徳の項目(「徳目」という)を示した部分。
[問2]  つまり「これらはどの社会でも当てはまる道徳だ」「従って、これらまで否定し学校で教えてはいけないというのは道徳教育の否定で間違いだ」という意見です。この意見について「言われてみればそうだなあ」と言う人も少なくありません。けれどもそれは「『教育勅語』の本来の意味を間違えて理解させられている」という指摘がされています。
 「『教育勅語』の本来の意味」とはどのようなことでしょう?
(反応が乏しい時のヒント=「教育勅語」が渙発された時期に注目を!)
<答え> 当時は、男尊女卑の旧民法の時代です。
「教育勅語」にいう「父母ニ孝ニ」は、「両親特に父親は一家の長なので、その指示には黙って従いなさい。女子の場合は結婚などについても父親の指示に従うものと心得なさい」、「兄弟ニ友ニ」は「長子相続制なのだから、次男以下は何事も長男を優先にしなさい。娘たちは長男が年下でも家の跡継ぎなのだから長男を大事にしなさい」、「夫婦相和シ」は原案では「夫婦別アリ」だったのを耳触りのよいこの表現に変えたもので「妻は家では夫をいつも立て、外では三歩下がって夫に従い歩くなど分をわきまえて行動するようにしていれば周囲の人々から『いいご夫婦だね』と言われ家庭円満になる。女子生徒はこのことを今から心がけなさい」というような意味だと、当時の「教育勅語」解説書には書かれています。
<補足説明> 「教育勅語」が渙発されたのは、「明治23年」です。その前年の明治22年(1889年)に明治憲法が発布されました。明治憲法がめざしたのは、社会構造を天皇を頂点とする富士山型の中央集権制度にまとめることで、そのために全国に存在する家族を家父長制・長子相続制の武家社会方式にするのが唯一正しいのだと学校では教えこむことにしなさいと、教育関係者に指示したのが「教育勅語」です。
この「教育勅語」と天皇の写真「御真影」を儀式ごとに奉読・拝礼させることを基軸とした教育勅語体制による皇民化教育で日本中がマインドコントロールされ続け、国を誤る道に「一億一心」で邁進する「神の国」に仕立て上げられたのでした。
*戦後、GHQの新憲法原案に対し、当時の日本政府が最も強く抵抗したのは象徴天皇制や戦争放棄ではなく24条の男女平等・婚姻の自由だったと言われています。

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5 その時は、チャイムが鳴る少し前だったのであまり詳しい説明をしないまま終わりました。翌日、そのクラスの男生徒たちが用事で社会科準備室に来た時、「先生、昨日はあれから大変でした。女子がプンプン怒っちゃって、ボクたち男子は休み時間に教室にいられませんでしたよ」と教えてくれました。

6 「それは気の毒した。次の時間には、今の憲法にそれと正反対の規定があることを説明して、分かってもらいようにしよう」「あてにしてます」というようなやりととりになりました。

7 次の授業では、憲法の24条が男女平等・婚姻の自由を規定したものであること、そしてその条項をGHQ案に盛り込んだ中心人物がベアテ・シロタさんという女性だったことを確認しました。女生徒たちは「今は違う」ということで安心し、シロタさんさんという女性の努力の成果であることを喜んでいるようでした。

8 そのシロタさんが、2001年5月3日の憲法記念日に沖縄・那覇市で講演した際に『沖縄タイムス』が掲載した島袋純氏のコメントが、添付④です。

9 当時、島袋氏は私と同じ琉球大学教育学部社会科教育教室所属でした。翌9日に学内で顔を合わせた折に「昨日の『タイムス』のコメントには引き込まれました。講義などに使わせて欲しいです」と話すと、「どうぞ使って下さい」と言われました。続けて「昨日も学内で遠くにいた別の教室の女性の先生が手を挙げて飛んできて『あの記事よかった!うれしかった。それを言いたかったのよ』と言って走っていきました。そんなですかねえ」とのエピソードを教えてもらいました。

10 以来、私も自信と義務感をもってこの『沖縄タイムス』の記事を折ある毎に紹介しています。今回もその一環というわけでもあります。

11 添付資料の⑤は、2017年に安倍政権が「教育勅語」を教材として用いることを許容するとの答弁書を閣議決定したことで、物議を醸した際の沖縄の反応を示している資料です。

12 沖縄は、「本土」以上に「教育勅語体制」で”動物的忠誠心”を植え付けられ、不当な犠牲を強いられた痛恨の体験を語り継いでいる地域社会ですから、このような話題には敏感です。それと比較して、「本土」社会はこの時どれだけ厳しく問題化したでしょうか。

13 今回の森発言については、国際的な批判とは別に戦前・戦中の皇民化教育態勢の残滓としての同氏及び背後の賛同者たちの存在に対する責任と、沖縄差別を今なお払しょくできていない「本土」社会の責任とを再確認させられる話題であるという意味があると思います。その意味での議論を喚起したいと思い、このメールを発信することにした次第です。

以上 髙嶋の私見です。 ご意見等をいただければ幸いです。転送・拡散は自由です。

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(了)

                                        
 

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