過日、世田谷区烏山区民センター文化祭に「世田谷区平和マップ」を出品しましたが、やはり「軍事都市・東京」の沿革を説明しなければならないと痛感しました。
東京歴史教育者協議会の東海林次男さんのアドバイスを受けて、次のようなマップを作成したいと準備に入りました。
やはり一枚の地図で、東京全体を俯瞰した方が良いのではないかと考えました。
黄色(1)明治政府樹立~東京鎮台が第一師団に、陸軍大学校が青山に設立となった明治21年頃まで
青色(2)日清戦争・日露戦争(※50年戦争)(東京砲兵工廠で製造した兵器類を飯田町駅で積み荷~東日本の軍隊を青山練兵場で訓練し、青山軍用停車場から乗車~新宿駅と品川駅構内で蒸気機関車を回転台で名古屋方面に方向転換させる手間と時間を短縮するため、品川西南線を敷設~頭端型の横浜駅で同じく回転台の時間を短縮するため、新横浜駅と平沼駅を新設して、直線運行をする。(明治5年に開通した新橋駅→横浜駅の横浜駅は桜木町駅となる。)明治政府は広島城に大本営を設置するために広島駅までの鉄道敷設を大号令した。広島駅から大陸へ出航する宇品港までの短絡線も敷設した。)
赤色(3)昭和4年に陸軍軍医学校が麹町区富士見町から、牛込区戸山町に移転した頃~敗戦まで(※15年戦争)
志位和夫さんは、韓国・建国大学での講演で、「※15年戦争は定着しているが、日清・日露戦争からの※50年戦争として考えたい」と言われました。
靖国ツアーの遊就館内で説明をしているときは、日清戦争から日露戦争と韓国併合までを詳しく説明をして「北東アジア問題」を理解して貰っていますので時間をとってしまい、大東亜戦争展示室の時間が無くなってしまいます。
※「戦後70年 北東アジアの平和/――歴史をふまえ未来を展望する」
『私は、日本が領土拡張と外国支配を目的とした本格的な侵略戦争に乗り出したという点では、1894~95年の日清戦争と、1904~05年の日露戦争、この二つの戦争が一大画期となっていると考えます。これを起点として、「50年戦争」ともいうべき連続した侵略戦争の歴史が展開された――こう捉えますと、より広い視野に立って、歴史問題の全体像が捉えられるのではないかと思います。』
2000年7月にガイドブック「葵から菊へ」を発刊し、その後の改訂版付録として作成したものです。
新宿内だけでも約20ヶ所なのですから、東京23区と立川飛行場などを数えると100以上になるでしょうね。
東京歴史教育者協議会の東海林次男さんのアドバイスを受けて、次のようなマップを作成したいと準備に入りました。
やはり一枚の地図で、東京全体を俯瞰した方が良いのではないかと考えました。
黄色(1)明治政府樹立~東京鎮台が第一師団に、陸軍大学校が青山に設立となった明治21年頃まで
青色(2)日清戦争・日露戦争(※50年戦争)(東京砲兵工廠で製造した兵器類を飯田町駅で積み荷~東日本の軍隊を青山練兵場で訓練し、青山軍用停車場から乗車~新宿駅と品川駅構内で蒸気機関車を回転台で名古屋方面に方向転換させる手間と時間を短縮するため、品川西南線を敷設~頭端型の横浜駅で同じく回転台の時間を短縮するため、新横浜駅と平沼駅を新設して、直線運行をする。(明治5年に開通した新橋駅→横浜駅の横浜駅は桜木町駅となる。)明治政府は広島城に大本営を設置するために広島駅までの鉄道敷設を大号令した。広島駅から大陸へ出航する宇品港までの短絡線も敷設した。)
赤色(3)昭和4年に陸軍軍医学校が麹町区富士見町から、牛込区戸山町に移転した頃~敗戦まで(※15年戦争)
志位和夫さんは、韓国・建国大学での講演で、「※15年戦争は定着しているが、日清・日露戦争からの※50年戦争として考えたい」と言われました。
靖国ツアーの遊就館内で説明をしているときは、日清戦争から日露戦争と韓国併合までを詳しく説明をして「北東アジア問題」を理解して貰っていますので時間をとってしまい、大東亜戦争展示室の時間が無くなってしまいます。
※「戦後70年 北東アジアの平和/――歴史をふまえ未来を展望する」
『私は、日本が領土拡張と外国支配を目的とした本格的な侵略戦争に乗り出したという点では、1894~95年の日清戦争と、1904~05年の日露戦争、この二つの戦争が一大画期となっていると考えます。これを起点として、「50年戦争」ともいうべき連続した侵略戦争の歴史が展開された――こう捉えますと、より広い視野に立って、歴史問題の全体像が捉えられるのではないかと思います。』
2000年7月にガイドブック「葵から菊へ」を発刊し、その後の改訂版付録として作成したものです。
新宿内だけでも約20ヶ所なのですから、東京23区と立川飛行場などを数えると100以上になるでしょうね。