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「八重の桜」と徳冨蘆花

2013年11月17日 | 世田谷日誌

今夜、NHK大河ドラマ「八重の桜・駆け落ち」を観た。世田谷区蘆花恒春園内の蘆花記念館が、今年になってからNHK歴史ヒストリア「新島八重の生涯」初代“ハンサムウーマン”ビデオを館内で放映していたが、それは蘆花と新島襄とのクリスチャン関連であるとは考えていた。しかし、今日のドラマで蘆花が同志社の学生であることや実兄蘇峰の民友社のこと、上京して小説家となっていくプロセスが良く分かった。

小説「不如帰」の浪子が結核で通院していた病院のモデルとなったのが、新宿区市谷薬王寺町の高橋病院であることも、毎日電動カートで蘆花公園を散歩し、水彩画スケッチをしている管理人との縁を感じている。(管理人が薬王寺町会理事として編纂に関わった「市谷薬王寺町誌」参照)

近日中に牛込区市谷富久町市谷刑務所で処刑された幸徳秋水と、明治天皇に嘆願書を出した徳冨蘆花、そして余丁町から三田の慶応大学に通勤する道すがら秋水らが乗っていた囚人馬車を見ていた永井荷風を記事にしたいと思っている。

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