葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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原貴美恵著「サンフランシスコ平和条約の盲点」

2024年09月23日 | 海底電線・領土問題

領土・主権展示館で、内閣府職員から推奨された書籍を古書店から購入しました。

これからジックリと読みながら、領土・主権展示館の資料と比較していきます。

原 貴美恵著 溪水社刊「サンフランシスコ平和条約の盲点」ーーアジア太平洋地域の冷戦と「戦後未解決の諸問題」ーー

終章 サンフランシスコ体制と地域紛争 

 本書ではサンフランシスコ平和条約の領土条項を中心軸に、同条約から派生したアジア太平洋地域における諸問題について、順にその起源と発展を追ってきた。これまでの検討からは、これらの問題を理解する重要な鍵として、「地域冷戦」、「リンケージ」、そして「多国間枠組み/国際化」の三点が指摘できるかと思われる。この終章では、検討結果の総括を行い、若干ではあるが将来への考察を広げてみたい。 

 地域冷戦 
  次頁の表は、サンフランシスコ平和条約の領土条項、そこから派生した諸問題、そして問題当事国の関係を示したものである。条項は、処理領土の厳密な範囲や最終帰属先を明記していない。このことは、様々な「未解決の諸問題」を生み出すことになる。条約の表記は偶然でも間違いによるものでもなく、慎重な検討と幾度にも渡る修正が重ねられた結果であった。これらの問題は、欧州より複雑に展開したアジァ太平洋地域の冷戦を反映して、故意に未解決にされたのである。 
 対日平和条約は、太平洋戦争を終結させ、新しい時代に入るための精算作業のはずであった。しかし、戦争の精算がきちんとなされ「戦後」が始まる前に、日本、そしてアジア太平洋全体が欧米で始まった冷戦に巻き込まれてしまった。サンフランシスコ平和条約は、その冷戦の副産物であり、冷戦が終わったとされる今日でもこの地域の国際関係に重要な意味合いを残している(後略)

あとがき 
 第二次大戦が終わって60周年にあたる今年は、世界中で記念行事が目白押しである。過去の記憶が蘇ると共に、各地でナショナリズムの高揚が目に留まる。旧敵国関係或は植民・被植民地関係にあった国家間の政治関係も緊張しがちである。戦後「未解決の諸問題」に注目が集まれば、この傾向は更に助長される。この「あとがき」を書いている現在は、検定教科書の竹島記述を巡り日韓関係が緊張している。数週間前は島根県議会が「竹島の日」条例を制定したことが両国間に波紋を呼んだ。ここ数年、サッカーのワールドカップ共同開催や「冬のソナタ」ブームで沸いていた日韓関係は、再び冷却化傾向にある。日本の国連安保理入りに反対する運動も、中国を中心に盛んになっている。そこでは尖閣列島問題が、教科書問題や他の 「未解決の諸問題」と共に抗日スローガンに使われている。日本と隣国の間に根強く残る対立構造を改めて認識させられる思いである。60年前に戦争が終わったとき、領土処理を含めて「過去の清算」がきちんと平和条約中でなされていたなら、この地域の現状はかなり異なったものになっていたであろう。過去に戻ることは出来ない。今後、隣国同士の相互理解と諸問題の解決に向けて、前進が見られることを切に願うばかりである。(後略) 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(了)

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