シニアネット「シニアナビ」サークルの一つである「シニア夢クラブゆーユ」のミニオフ会が4日に行われ、10人が参加した。(ガイドは管理人)
午後1時、東京メトロ東西線竹橋駅の毎日新聞社(パレスサイドビル)正面玄関に集まった。
シニアの仲間が「神田川船の会」の主催者の一人なので、管理人もこれまで2回、両国から乗船したことがあるが、神田川を飯田橋の手前から日本橋川に入り、九段の俎橋辺りから鎌倉橋付近までの西側護岸は江戸時代の外濠石垣が残っている。まず、日本橋川を護岸の上から見てもらった。
江戸城の通用門であった平川門にある欄干擬宝珠に「慶長十九年甲寅」「寛永六年甲子」の銘が見える。昔の二重橋から移したものといわれている。
平川門には「不浄門」がある。昔から死人は不浄という考えがあったようなので、小伝馬町牢獄での刑死者は裏門から出され、明治時代につくられた市ヶ谷刑務所にも不浄門があった。
殿中刃傷事件の淺野内匠頭長矩と絵島生島事件の大奥年寄絵島がこの門から出されたといわれている。
管理人も過去に一度しか見学したことのない二の丸庭園に入り、写真を撮った。
その後は、桃華楽堂、天守閣跡、本丸跡、大奥跡、松の廊下跡、富士見櫓、午砲台跡と三つの番所をガイドしながら大手門で東御苑見学は終了した。
坂下門から宮内庁の外観を見てもらいながら、管理人が宮内省へ情報公開請求をして明らかになった「振天府」という倉庫にあった清国の戦利品を、米陸軍第8軍第2旅団に引き渡した昭和21年の侍従職文書を披露した。参加者からは「この頃は、国共戦争の激戦さ中であり、蒋介石は台湾に逃げ込むのだから、米軍が国民党政府に返還したかどうか怪しい。もしかしたら猫ババしたかもしれないね」との声も出た。
二重橋から皇居外苑の楠正成像のガイドをして午後4時に解散をした。万歩計では1万歩だそうである。
初めて参加をした新宿平和委員会の檜山紀雄さんが、檜山平和ミュージアムのコレクションから江戸城入城の「大名鑑札」や江戸時代の「切絵図」を持参し皆さんにご披露してくれた。