葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

パソコン大好き爺さんの日誌。mail:akebonobashi@jcom.home.ne.jp

「新宿平和マップで歩く明治150年」のアンケート「その二」

2018年01月29日 | 歴史探訪<江戸と明治の歴史>

アンケートその二

2月以降の「明治150年シリーズ

『初めて参加しました。
今年明治1500年ということで、さまざまな関連行事が政府・各自治体等で企画れていると聞きます。
今回東京の戦争遺跡を歩く会主催にて、明治150年シリーズのフィルドワークが企画されたこと、まことにタイムリーなことと思っています。
とても寒い天候でしたが、元新宿区べテラン区議28年を過ごされた長谷川順一氏による手袋なしで熱く語られた明治の近代化の現地説明(同時に、手作りやの資料・ポスター類の説明)には、大きな大きな拍手を送ります。有り難うございました。
今、「明治150年」を考える時、近代化の偉業と併せて、戦前の大日本帝国憲法下における侵略と植民地支配の事実と日本の加害責任を次回以降のフイドワークでもしっかりと見聞していきたいと思いました。
当日配布された「新宿区平和マップ」は、とても見やすく大いに参考になりました。
長年このマップ完成まで、区との協議(交渉)にご努力されてきた長谷川氏のお力添えに、あらためて敬意を表します。
寒さ厳しき折、ご自愛ください。』
草加市・中嶋廣士・60歳代

『昨日は底冷えのする寒い一日でしたが、とても有意義なツアーに加わらせていただき、ありがとうございました。
 私は昭和30年生れの戦後世代ですが、各地の戦争遺跡に興味を持ち、仕事の関係で赴任した先でも歩きました。
 2年前に定年退職を迎えた九州・大分では、宇佐市の市民団体「宇佐塾」の方々と知り合い、太平洋戦争末期に米軍が記録した空襲映像(ガンカメラ映像)を米国公文書館から入手したばかりの映像を見せてもらう体験もしました。
 知覧・鹿屋の特攻記念館にも足を伸ばしましたが、大分市内の予科練資料館では、終戦の日の夕方に大分基地を飛び立つ特攻機の写真を見て足が震えました。
 これは作家・城山三郎氏の最後の小説となる『指揮官たちの特攻』で描かれた宇垣纏司令官率いる「降伏後の特攻部隊」です。内容はご存知のことと思います。
 因みに城山三郎氏は大学の先輩であり寮の先輩でもあったので、生前に倉敷でお会いしたことがあります。彼の生涯そのものが戦争遺構のような面もある方です。
 大分時代には出張がてら沖縄の戦争遺跡も巡りました。読谷村の米軍上陸地点から「ひめゆりの塔」まで3ヶ月弱の凄惨な戦いの経過を数日かけて辿りました。
 「ひめゆりの塔」では、生存者「語り部」たちがライブで語る最後の機会に恵まれましたが、彼女らと話をすると広島や長崎は知っていても「東京大空襲で10万人以上も犠牲になった」史実を知らないことに驚きました。
 私自身も学校教育の中では「戦争に関する歴史教育」をまともに受けた記憶はなく、作家・早乙女勝元氏を知ることがなければ戦争遺跡に興味を持つことはなかったでしょう。
 私は偶々、小学校時代に勝元さんの妻が音楽担当教師で赴任され、勝元さんの初期の作品を毎月のように読まされ感想文を求められたことが彼を知る切っ掛けでした。
 その後、都立墨田川高校から一橋大学法学部に進みました。大学では学業そっちのけで山岳部の活動に没頭してしまいましたが、専攻課程では憲法学の杉原泰雄教授に師事。天皇制や9条問題についてじっくり考える時間を持つことができました。
 しかし、学業成績の悪さから法曹関係に進むことは断念し、一般企業に就職したものの、数回の転職を経て10年前に「法テラス」へ中間管理職として採用され地方事務所勤務を数回体験しました。大分が最後の勤務地だった訳です。
 今は生まれ育った墨田区で山岳ガイドを自営しておりますが、暇な時間が多いので、これを切っ掛けに貴会ツアーに出来るだけ参加したいと考えています。
 2月25日は先約がありますが、3月18日・4月22日の会には参加したいと考えているほか、アシスタントガイドの廣田房枝さんから紹介いただいた「コープみらい地域クラブ」の2月10日「平和ガイド両国コースクラブ」にも参加したいと思います。
 引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。』
墨田区・佐藤周一・60歳代

『長谷川さん そして係の皆様 お寒い中ガイドをありがとうございます。
書物の中で知ったことを実物で見ることで知識が定着するようです。
愚かな戦争によって破滅した日本は、平和憲法を得ることができました。その憲法を改定しようとするからには、愚かな戦争は絶対くりかえさないための歯止めは欠かせません。
愚かな指導者を生み出した日本の教育は絶対あらためなければなりません。命令いも黙って従わせるように育成した日本の教育は絶対あらためなければなりません。
そんなことを考えながら一つひとつの戦跡、史料を見てまいりました。
それにしても聖徳記念絵画館の「日韓合邦」の内容にはショックをうけました。朝鮮半島の人が泣いて悲しんだ日韓併合の日を、今だ喜びの日とするのは外交問題になるでしょう。100年以上たっても反省しない日本の指導者は失格でしょう。』
船橋市・網野裕・70歳代

聖徳記念絵画館サイトから





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新宿平和マップで歩く明治150... | トップ | 「践祚は退位と同日に行うべ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史探訪<江戸と明治の歴史>」カテゴリの最新記事