陸上自衛隊衛生学校内・医療情報史料館「彰古館」の展示より
医療用石井式濾水機(甲)
関東軍防疫給水部隊第731部隊長の石井四郎が軍医学校防疫学教室長の時に開発に成功した。
陸軍大臣東条英機から表彰状を授与される軍医少将石井四郎
陸軍階級表(軍医は大将にはなれない)
医療用石井式濾水機(甲)の製造や満州国哈爾浜市郊外平房の731部隊施設を設計・製造した日本特殊工業(株)
社長宮本光一
若松町77-1番地
戦後の地図には、石井病院となっている。
戦後の石井四郎と「若松荘」
「石井四郎は敗戦直後、東京新宿区若松町で、焼け残った陸軍関係の建物を利用して、旅館を経営していたところ、アメリ力占領軍の呼び出しを受けた。1945年の冬であったと伝えられている。」また、「石井四郎はこの〔ソ連対策のためのGHQ当局による石井尋問〕後、アメリカ軍から、元海軍関係宿舎を改装したアメリカ兵慰安施設を東京四谷に一軒与えられ、女たちに売春させながら平房から持ち帰った七三一のデーター・整理に当たっていた。」と『悪魔の飽食』に出てくる。
軍人と花街・遊郭
前項に石井四郎が四谷で売春宿をやっていた話が出てくるが、石井自身が好色遊蕩の軍人のようである。「石井式濾水機」で医療器具メーカー日本特殊工業からの贈収賄疑惑で若松町の牛込憲兵隊分隊に取り調べを受けたが、そのきっかけは神楽坂三業地での豪遊からであった。
新宿区には牛込・神楽坂、四谷・荒木町、淀橋・十二社の三業地が、内藤新宿に遊郭があった。区内の軍事施設の軍人と陸軍諸学校の生徒・学生たちの内、将官は待合いで芸者をあげ、下士官以下の兵卒や生徒は遊郭に登廊、軍隊での抑圧された日々を発散させたようである。この延長線上に中国や東南アジアでの日本軍による現地女性のレイプと戦時強制性奴隸(従軍慰安婦)問題が存在するのである。【注】芸者街でいう三業とは料理屋、待合、芸者置屋のことで、遊郭では貸座敷、娼妓、引手茶屋をいう。
私道は現在も石井四郎名義である。
石井四郎自宅と軍医学校は「職住近接」だった。国立国際医療研究センター病院資料室の展示より作図。
河田町月桂寺内の石井家墓地
墓誌には「忠誠院殿大医博學大居士 昭和三十四年十月九日」と刻まれている。
文中の「猿」とは、実は人間のことである。
サルの平熱は人間よりも高く、39.4℃は猿にとっては平熱である。
しかも笠原らは別の論文で、猿の場合は著明な流行性出血熱腎と発熱の両方を示すことはないと書いている。
そこで、笠原らが人間を実験材料とし、しかも生体解剖したことがわかる。笠原自身、戦後にこのことを認めている。
中国黒竜江省哈爾浜市平房「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」
爆破されたボイラー室
Blog記事『32年前の7月22日に「人骨」が発見! 第731部隊を多くの国民が知ることになった森村誠一氏の「死の器」と「悪魔の飽食」がしんぶん赤旗に連載されていた』
(続く)