第四回 自然文学の金字塔「みみずのたはごと」レジュメ(転載許諾済)
講師:渡邊勲氏(財団法人「蘇峰会」評議員)
田園のポエジー 「みみずのたはごと」
一 読む、聞く、心にえがく 一
故郷(ふるさと)のポエジー
① 世田谷・粕谷は私にとっての「故郷」(ふるさと)
故郷には、素朴さ、うるおい、安らぎ、懐かしさ、感傷がある
② 私の生育歴と「みみずのたはこと」、文学開眼
ペンの色彩(いろどり)、 絵筆より美し
① 「みみずのたはこと」「自然と人生」は、ペンで描いた絵画
「みみず」は水彩、「自然」は日本画
② 中学校(旧制)の国語教科書に掲載された「文学教材」
当時の紀行文・写生文の主流は、「大町桂月」
「自然と人生」の「相模灘の落日」に感嘆と驚喜
③ 印象派の絵画(セザンヌ・モネー)より美しい
自然への憧憬と田園詩人
① 国木田独歩とのかかわり~国民新聞社の同僚、独歩の仲人は兄・蘇峰
日清戦争で従軍記者~「愛弟通信」が大好評
名作「今の武蔵野」を「国民新聞」に掲載(明治31年1・2月号)
のち「武蔵野」に改題~蘆花は非常に嫉ましくおもう
独歩に「写生文」を勧められる
② 「和田美作」について洋画をまなぶ(29歳)
傷心の蘆花は妻の絵筆を見て、猛然と絵心をかきたてられたのが理由
1週間、10日と家をあけ写生行脚
恒春園資料室と、粕谷区民センター図書館にその作品が陳列されている
③ 逗子へ転居(明治30年)、東京を離れ湘南の自然に近付たい
湘南の自然を活写
「此頃の富士の曙」を発表、この美文調の短文が好評、国木田独歩が激賞
「徳富氏は自鹿の日記を書いたら面白かろう」の一言が「湘南縫筆jを執筆の契機、以後、掌編の自然描写写生文を発表、非常に好評
「自然と人生」を刊行(明治33年)、文名おおいに高まる(月給から以後印税)
昭和3年までに発行部数・50万部(当時、日刊新聞が最高6万部の時代)
④ 「画家・コロオ」を「国民の友」に発表(明治30年)~「自然と人生」に収録
バルビゾン派(フォンテンブロー派)は、19世紀フランスの代表的風景画家群
⑤ アルフォンス・ドオデー(1840~1897)への憧憬
「アルフォンス・ドオデー」を「国民の友」に発表(明治25年)
ゾラと同年令、フローベル、ゾラ、ツルゲネーフと親交
肌身離さず手帳を持ち、現実を直視し印象を忠実に書き留め、それを素材に執筆
憐愍(びん)、憐れみ、微笑が渾然一体となった暖かい作品
「風車小屋たより」「月曜物語」は、「みみず」に極めて近い
むしろ蘆花は、「風車小屋たより」を頭において、「みみず」を書いたのでは!
その検証のため、5回渡仏したが確証は得られず残念
⑥ トルストイに触発、ヤスナヤ・ポリヤナでの謦咳
読む、 聞く、 心にえがく
① 作品(芸術)の鑑賞は、五感をとおして作品に語りかけること
やたらと、解説、解釈、分析、考察などをすべきでない、それは学者の仕事
好事家、ペダンチック、ディレッタント、スノビズムたるべきではない
② 「故人に」
今は亡き畏友に対して語りかけるオマージュ
国木田独歩(1871~1904)明治4~明治41年、享年38歳
明治41年2月3日病状とみに悪化したため、茅ヶ崎・南潮病院に入院
その4月、田山花袋・島崎藤村・徳田秋声・真山青果など友人が相図り、
「二十八人集」(新潮社刊)をその病床に贈る
その一編を「みみず」発行にさいし、大正元年12月29日に加除訂正したもの
村入り(引っ越し)から今日までの粕谷の経緯を詩情豊かに描いている
③ 「都落ちの手帳から」
「都落ちの手帳から」5篇、この掌編から「みみす」が生まれる
創作年月日の記載はないが、明治40年から43年ころの執筆
「都落ち」とあるように、青山高樹町から府下粕谷村へ引っ越し
新居での暮らし、期待、願望、素志、ロマンを夢見る
風俗、習慣.郷(むちざと)の習い、そして社会と生活文化の差に戸惑い
牧歌的、ロマン豊かで長閑に描く
落ち武者的な切なさ、シニカルで拗ねもの的な心情もかいま見える
自然文学の名作、傑作
① 自然文学の傑作
志賀重昂「日本風景論」
大町桂月「紀行文」、島崎藤村「千曲川のスケッチ」
国木田独歩「武蔵野」、徳冨蘆花「みみず」「自然と人生」
② 「教科書に掲載された文学作品出度表」43年9月、
明治、大正時代は最も多く、群を抜いて第一位
昭和の戦後は、高校で第10位
夏目漱石、森鴎外は教科書から外れ、忘れられた存在の作家に
③ 明治から大正時代は、「自然と人生」が多く
大正中期から昭和にかけては、「みみず」が多い
⑳ 「みみず」の頻度数(財団法人・教科書セター・調べ)
「村の一年」15、
「夕立雲」13、
「水車問答」8、
「田川」「驟雨浴」「草取り」「若草山の夕」5、以下略
その特徴は、
自然への近親感、詩情がゆたか、無駄の文章、的確な描写