>朝鮮平壌府竹園町で生まれた母が5歳の時、祖母はスペイン風邪で死んだ<にコメントが届きました。
>「朝鮮半島北緯38度線分断過程」の研究<を投稿したばかりでしたので、偶然性に驚いています。
・コメント
朝鮮平壌府竹園町のこと
はじめまして。突然失礼します。首都圏に在住しているみけと申します。母(85歳)の家系をさかのぼって調べ、家系図を作っています。
母の父(私の祖父)は香川県出身で、祖父の両親(私にとっての曽祖父母)のうち、曾祖母(1870生〜1964没)の家系を辿るうち、曾祖母の弟(八十太郎という名です)が妻子と共に朝鮮半島にわたっていたことが分かりました。
というのも、八十太郎の娘たちの出生届が出された場所が「京畿道京城府漢江通15番地龍山鉄道官舎」(三女・1910生〜1914没)、「朝鮮平壌府竹園町70号の2」(五女・1917年生)となっています。
五女が誕生した直後に八十太郎は分家届を出し、香川県の本籍から除籍されているので、その後の彼と家族がどうなったのかは、直系尊属ではない私には調べられないのでわかりませんが、全く知らない朝鮮半島の地名に驚き、どのような経緯で香川の小さな漁村から移り住んだのか、どんな場所なのか…が知りたくてネットで検索をし、2年前にお書きになられたこちらの記事にたどり着いた次第です。
朝鮮平壌府竹園町も、鉄道の官舎だったのですね。
筆者様のおじいさまおばあさまとお母さまと弟さん一家と、八十太郎一家がもしかしたら知り合いだったかも、とか、八十太郎一家もやはりスペイン風邪に罹患したのだろうかとか、色々と考えさせられました。
もう少しいろいろと調べてみるつもりつもりです。
貴重なお写真と情報に助けられました。
若くして、お子さんを身ごもりながら亡くなったお祖母様のご冥福を祈りつつ。
長々と失礼しました。
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石川県金沢市前田家の家老本多家小将組三宅家の長男、三宅清長が満州鉄道の子会社である朝鮮鉄道関連の会社に勤めていたので弟の又郎を朝鮮に呼んで朝鮮鉄道に就職させたと思われます。祖母タマは京都府在住でしたので、母、妹、妹の長女がタマの実家を訪問したことがありました。戸主は長崎県北高来郡出身で、タマの墓は京城にあるそうです。
母初榮の戸籍簿(又郎は東京市蒲田区御園町で生活し、黒澤タイプの工場に就職しました。現在は大田区西蒲田です。)
金沢市大乗寺は本多家の菩提寺です。三宅家之墓もあります。(三宅清長の孫が墓守をしています。)
(了)