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総選挙の“風”を読む

2009年08月31日 | 新宿日誌

 『季刊 戦争責任研究(2009年秋季号)』に「毒ガス裁判と毒ガス被害者を支える人々の系譜」と題した原稿を7月中旬に入稿した。その原稿の最後に『保守政治家である野中廣務氏の発言に見られるように日本の市民の中に、日本政府の謝罪と障害を受けた毒ガス被害者に対し、医療ケア等の支援を行うことを要求する世論は高まっている。今号が発刊される頃には毒ガス問題の全面解決を実現する新しい政権が誕生していることを期待して筆を置く。』と書いたが、マスコミの予想以上の308議席を民主党は獲得し、政権交代を成し遂げた。

 殆どのマスコミは民主党に吹いた「政権交代の風」が勝因であると論評している。

 顧みると、管理人自身が1971年に34歳で初当選をした新宿区議会議員選挙も「2期目の美濃部都知事という風」で当選をしたのである。またくの無名の新人が1月から選挙運動を始め、4月10日が東京都知事選挙との同日投票日だった。選挙結果は定数52名中第2位での当選となった。上位5番目までは日本社会党と日本共産党の候補者だった。「美濃部亮吉」と投票用紙に書いた有権者は与党である社会党か共産党の区議会議員候補者であれば誰でも良かったのである。

 3期目の美濃部都知事は船橋副知事の同和行政問題で与党間がギクシャクしたこと、都知事選挙の投票日と区議会議員選挙の投票日がずれたことなどが要因の一つとなったのであろうか、「風」はパッタリと止んで定数48名中最下位から5番目までの当選者が4年前とは逆に社会党か共産党の区議会議員候補者であった。管理人は46番目での当選となり、4113票の得票が1500票へと激減したのであった。

 「2期目の美濃部都知事という風」は何であったのだろうか。それは老人医療費の無料化、無料シルバーパスの発行、「ポストの数ほど保育園」と言われた保育園の増設などの国の福祉行政の遅れを補い、全国に先駆けた福祉行政への東京都民の期待と評価だった。

 その後、大阪府、京都府、埼玉県、沖縄県そして東京都の革新地方行政が潰されてきた。そして自・公政権の「構造改革」の名の下に医療、介護、教育、子育て支援が切り捨てられたことに対する国民の心底からの怒りが「突風」となって民主党への一票となったと思っている。積年のマグマが噴火したのだが、単なるガス抜きに終わらせてはならない。

 連立を組む社民党と国民新党、そして建設的野党の日本共産党が、インド洋の給油問題等々には歯止めをかけながら、福祉行政、派遣労働者問題などを実現させるためにも国民運動を大きくしていかなければならないと思う。遺棄毒ガス被害者問題の政治解決も新政権の下で実現したいと願っている。 

 

 

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