東京の戦争遺跡を歩く会企画:(株)富士国際旅行社催行の「日本鉄道開業事始」・「軍用鉄道事始」フィールドワークでは、東京砲兵工廠で製造した兵器類と青山練兵場で訓練した将兵を広島宇品港停車場まで効率よく運ぶには「転車場」を使わずに「品川西南線」や「神奈川停車場から平沼停車場」への短絡線を敷設した沿革を説明しました。
昭和37(1962)年の飯田町貨物ヤードの図を見ると転車台がありました。
フィールドワークで「転車台」の沿革を説明したかったので、「転車台は何時ごろからなくなったのだろうか?」と「鉄道博物館」ライブラリーに電話で聞きました。「大井川鉄道や秩父鉄道等では転車台は使われていますが、JR東日本が使わなくなった時期はわかりません。調べるには時間がかかります。」という回答でした。
鉄道博物館が発刊している「2022Calendar」を購入していましたので、博物館南館に展示してある機関車等の車両写真から⑨1965(昭和40)年製造の181系電車(クハ181‐45)からだろうと考察しました。先頭車両と最後尾車両のデザインが同じならば、始発駅と終着駅では運転手と車掌が交代するだけで済むから「転車台」は不要となります。
(了)