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靖国神社社報「靖國」に掲載された論考『漂白する日本のよすがとして』

2024年03月15日 | 歴史探訪<靖国神社>

靖国神社社報「靖國」3月号が配達されました。掲載された論考『漂白する日本のよすがとして』は、日本の少子高齢化問題では泉房穂前明石市長を評価したりしていますので、全半の経歴や後半の靖国神社を参拝する心境部分は省略して掲載します。

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(前略) そのスター卜地点は東西冷戦の終結にあります。長く世界の人々を縛り付けていた核戦争の恐怖が霧消して、明るい時代が到来したと確信できた時代から、日本社会の漂泊が始まります。
 無論、この場合の世界とは、当時の日本が属していたアメリカ中心の西側自由主義世界のことに過ぎません。ただ、あくまでここでの主題は日本人であるとしてご了解下さい。
 冷戦には勝利した。しかし価値観の対立軸であった共産主義のソ連を失ったことで、日本の社会は明確な目標を失いました。同時にバブル崩壊が重なったことで、西側世界が新たに構築したハイテク資本主義の波にも乗り遅れました。物心の両面で軸を失ったこの時期の日史の迷いは、自民党単独政権の終焉から今日まで続く、長い政治的混乱にも反映されています。国家として目指すべき新しい日本の姿を誰も描けなかったのです。

底割れした日本人とその社会

  司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、明治維新後、世界に足を踏み出した日本が、国際社会に地歩を得るために奮闘する姿を描いた傑作です。遙か高みに見えていた西洋文明を雲ととらえ、そこに届こうともがくの道のりを坂道に例えたのです。
 ですが、その歩みは大東亜戦争に続く道となり、日本人は言語に絶する苦しみを経験しました。そして戦後はアメリカ中心のグループに入り、自由主義経済と集団安全保証の枠組みの中で、自分の役割に徹することで空前の反映を謳歌しました。
 しかし先の大戦終結から半世紀、冷戦に勝利した側の日本は気付きます。直面する問題を解決するモデルが世界に存在しないという現実に。
 最大の危機は少子高齢化です。人口問題は科学とマクロ経済の領域の問題であり、国策として抜本的な手を打ってなお容易に解決しないことは、平成初期にははっきり見通せていました。しかし日本人はこの問題に遂に真剣に向かい合わないまま、今日の袋小路に陥っています。
 九年連続で人口増を達成し、高い出生率を維持した兵庫県明石市のような成功例もあります。強力なリダーシップを発揮してこれを実現した泉房穂前市長には頭が下がりますし、現在三人の男児を子育て中の我が家としても、明石市の諸施策は羨ましいばかり。しかし大きな視点で見れば、明石市は隣接の神戸市をはじめ、近隣の人口密度が高い自治体から子育て世代を引つ張ってきただけであり、日本全体の底上げに直結するものではありません。やはり国家事業としての取り組みが必要だったのですが、総論賛成各論反対の世論に骨抜きにされて、少子高齢化は取り返しが付かない状態です。
 そして戦後に日本人が得た大きな力が、自由と平等を基軸とする社会です。たとえそれが占領軍の押しつけで始まったものだとしても、軍民数百万という犠牲に直面して日本はこの社会の形を受容し、以後、三世代にわたる繁栄を謳歌してきたのは揺るぎない事実です。
 それは、坂の上の雲を目指す旅路の終わりを意味します。もう我々が手本とする社会モデルは存在しない。しかしその現実に目を瞑り、手近にある成功例にばかりすがろうとする。それが今の日本社会です。日本人全体に一貫して認められている価値観は「金」だけになっているのもそのせいです金持ちイコール成功者であり、その発言にこそ耳を貸す価値があるという世相だけが揺るぎないものになっているのです。
 今回の能登半島地震を巡り、ネッ卜の中には気になる言説が目立っています。震災被害の実態を教訓として、限界集落を積極的に整理し、リ夕ンの乏しい地方創生事業に莫大なコストをかけるのではなく、公金投入は地方都市までに制限して、僻地からの移住を推進すべきというような意見です。
 一見、正論のように見えますが、現在の日本の繁栄は、都市部が地方から若い人口を吸い上げることで発展、維持されてきたものであることを忘れてはなりません。あたかも都市生活者が正しく、地方はその足かせとなっているというような見方は、一方的で近視眼に過ぎますなわち金持ちの目線で日拳体を設計しようとする、極めて置かついびつな考え方なのです。もしこのまま地方、中間山村の荒廃が続けば、やがて治水治山が崩壊し、それと直結した地方都市が自然災害の波に直撃されます。そこから日本全体の荒廃はドミノ倒しに始まるのです。
 無論、こうした常識は多くの日本人が理解しているところです。しかし少し視点を広げて考えれば分かる常識が、明らかに伝わりにくくなっていると、強く感じます。(以下略)

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(了)

 

 

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