リベラル日本研究会から参加のお誘いメールがありましたので参加してきました。
NHK特集 シリーズ日本の戦後【第6回】くにのあゆみ ~戦後教育の幕あき~
『GHQによる教育の民主化、逆コースによる揺り戻しをドキュメンタリードラマと、当時は多くが存命中だった家永三郎氏はじめ、当事者の証言で綴る。ドラマは終戦直後、教室での教科書「墨塗り」からはじまる。』をDVDで鑑賞した後、参加者の意見交流となりました。
北海道の小学校で教科書に墨塗りをした渡辺千尋さんが居られてお話をされました。管理人の誕生日は3月8日ですが、渡辺さんは3月10日生まれでしたので名刺交換をしました。渡辺さんは滞欧10年の経歴があり、中東・EU関係論を執筆されています。
1944(昭和19)年11月24日。杉並区井荻1丁目114番地(現善福寺1丁目)の自宅から約1,000㍍の距離にある中島飛行機東京製作所へ米軍戦略爆撃機B29の高高度爆撃がありました。自宅から約200㍍の畑に500キロ爆弾が落ちて大きな穴が開きました。迎撃戦闘機の機銃弾一発が自宅の階段踊り場の窓ガラスを貫通し、憲兵隊が持っていきました。12月3日にも爆撃がありましたので、父はビックリして“我が家の長男大事"と八王子市元八王子村の農家に管理人を縁故疎開とさせました。元八王子国民学校(現・元八王子小学校)3年生に編入しました。そこは畑の中の一軒家でしたが、学校から帰って一人で家にいたところ空襲警報がなりましたので畑の中にある防空壕に入りました。そこへアメリカの戦闘機が畑すれすれに飛んできてロケット砲で校舎を爆撃しました。プロペラ部が尖っている機体と、操縦席のアメリカ兵の顔がはっきりと見えた記憶が今でも鮮明です。
その戦闘機の名前と日にちが知りたくて06年8月に八王子市の郷土資料館に行って調べたところ1945(昭和20)年7月28日で戦闘機はP51マスタングだったことが分かりました。8月2日には八王子大空襲もあったので、父は管理人を自宅に引き取りました。(学童疎開は国民学校4年生から)
元八王子国民学校は、二度に亘る米軍P51マスタング戦闘機のロケット弾で校舎の大部分を焼失しました。
自宅に戻って8月15日の玉音放送を聞きました。翌年4月、杉並区立桃井第四小学校(旧国民学校)に早生まれだったので一年遅れの3年生で編入しましたので、45年秋に行われた「教科書の墨塗り」は体験していません。
幼年期から国民学校入学頃までのアルバム写真を参加者にお見せしました。
杉並区井荻一丁目(現善福寺一丁目)自宅近くで。管理人は戦地帰りの父に敬礼の仕方を厳しく教えられましたが、友達はハイルヒットラー式敬礼をしています(5歳頃)
杉並区立桃井第四国民学校入学の時
八王子市立元八王子国民学校3年生男子組61人。
元八王子村から自宅に戻って桃井第四小学校3年生に編入した頃