米国では、原爆投下によって50~100万人の米国兵士の命が助かり、戦争が終結したという世論が根強くあります。
「迫水久常の手記」は、『そして七月二十六日、果然、米英支三国の対日共同宣言が発表された。このポツダム宣言について、いまは詳述する余裕はないが、束郷外相はその承認をとなえ、阿南陸相は、ソ連に仲介を頼んでその返事を待っているところ故、その返事がきてから事を決すべし」という意見で、二つに分れ、結局この宣言に対しては何ら意志表示をなさざることと決定した(しかし新聞は、これを政府は黙殺するという表現を用いて報道し、これが拒絶と受けとられ、その後、八月六日には日本は世界で最初の原爆の洗礼を受け、さらに八月九日のソ連の参戦と、戦況が最悪の状態になったのは、周知のとおりである。』との記述があります。
遺棄毒ガス中国人被害者賠償請求の支援団体事務局長として活動してきました。中国東北部(旧満州国)を何回も訪問して、日本帝国陸軍関東軍の実態をつぶさに調査してきましたので「ソ連参戦」問題については「ト号作戦」に象徴されていると考察しています
。
2008年8月に、吉林省敦化市連花泡で二人の少年(周君と劉君)が毒ガス弾で被害に遭った場所や毒ガス弾を土中に遺棄した場所を訪問する市民調査団をガイドしました。その時に配布した資料から抜粋します。
・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・・・・・
なぜ「東北地方」でたくさんの毒ガス被害が・・・2008・8・25 長谷川順一
(1)旧日本軍は中国大陸で毒ガスを使用してきた。
(2)被告国は2003年9月の東京地裁に敗訴してから、遺棄事実について高裁では反論してきた。
(3)関東軍の二つのポイント
①関特演
②ト号作戦
(4)関東軍が命令して遺棄した証拠と元兵士の証言
(5)周君と劉君の事故現場「連花泡(馬鹿泡)」
関特演(関東軍特種演習)
独ソ開戦わずか4日後の1941年6月26日、関東軍が、「独ソ開戦に伴う時局関係事項にして、業務処理のため平時的事項と裁然区別を要するもの」に「関東軍特種演習(関特演」の秘匿名称を使用することにしたのが、その名の起こりである。7月2日決定の「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」は、開戦決意のないまま南北両方に準備を進めるものであり、このうち対北方準備の主体が関特演として行われた。
積極派の参謀本部作戦部長田中新一少将が、陸軍大臣東条英機中将を説得して実現した動員体制は膨大なものとなった。警戒態勢強化措置として在満鮮14個師団の動員、内地から2師団の派遣、軍直部隊、兵站部隊は作戦開始に必要な20~25個師団相当数についても合意したというのである。人員85万、馬22万頭態勢であって、今回の増勢は人員50万、馬15万頭に達するものだった。
好機(熟柿状態)到来したら作戦開始の態勢を整え、武力行使して北方問題を解決するという。熟柿とは、極東約30個師団が半減、航空その他約3分の1に減った状態を考えたが、極東ソ軍は目立ほど減少しない。7月末の参謀本部情報部の情勢判断も、ドイツは年内にソ連を屈服させ得ず、以後の見通しも必ずしもドイツに有利とはいえいとした。一方、南進準備の第一歩、南部仏印進駐は、米英等郎本資産凍結、米国の対日石油禁輸の激烈な反応を招いた。
かくして、参謀本部は年内の対ソ武力行使企図を断念した。開戦決意なき陸軍開闢以来の大動員は、壮丁50万の遊兵をつくり、新たに90万トンの船腹を民需から奪って国家の生産力に大きな打撃を与え、国家的危機にあったソ連の恨みをかったことは間違いない。そして、とりあえず使用目的のなくなった大量の兵員、資材、船腹が、陸軍の対米英蘭南方作戦を可能にしたともいえる。
【日本陸海軍事典から引用】
ト号作戦
昭和20年5月30日、大本営は関東軍を完全な作戦態勢にきりかえて、戦闘序列を令するとともに、同じ日、満鮮方面対ソ作戦計画要領に準拠して、対ソ作戦準僻をすべき命令も出された。
-、大本営は、鮮満における対米作戦および対ソ作戦準備の強化を企図す
二、第17方面軍(朝鮮筆)司令官は中、南鮮に侵達する敵を撃滅すべし
三、関東軍総司令官は、現任務を遂行するほか、来攻する米軍を撃滅するとともに、北鮮(成鏡道、平安道)における対ソ作戦準備を実施すべし
この対ソ作戦計画要領は、昭和19年9月に示達された“帝国陸軍対ソ作戦計画要衝”に必要な修正を加え、満鮮を打って一丸とする徹底的全面持久計画でーーこれが関東軍の終局的作戦計画となったのである。
この命令によって、与えられた対ソ作戦計画要額というものは、もとより頭ごなしに交付されたものではなく、大本営、関東軍当事者間で、事前に十分打合わせのうえ、双方の合意において、形式として命令化されたものである。
こうして、その計画の中核基本をなした作戦任務は、「関東軍ほ京図線以南、連京線以東の要城を確保して持久を策し、大東亜戦争の遂行を有利ならしむべし」というのにあった。
つまり、このごろには、大本営の本土決戦の考えが確定し、そのためには大陸の一角に、とにかく持久健在する策応軍の絶対必要性が大きく浮かび上がってきたのである。だから、総花式な決戦はもとよりのこと、持久も長期持久で、軽々しく敵に決戦を強要されるような方策は極力警戒しなければならなかった。柔道でいうなら、グッと腰をうしろに引いて下げる作戦であり、将棋にたとえれば、千日手に持ちこむというところでもあろうか。
もっとわかりやすく説明すると、関東軍は清洲の東辺道にたてこもって、大持久戦を実行し、本土決戦を有利にせよというものであった。
放棄地帯といっても、無条件放棄や宣言放棄ではない。作戦放棄であるから、広義には作戦地域たるにちがいはない。
結局、作戦を発動することになれば、下の図のように、全満の4分の3は放棄しても、通化の要域だけは確保せよということであった。
しかし、だからといって、軍には従来の慣性もあり、準備もある。しかも、いろいろの準備は、一夜にしてできあがるものではない。また、現に存在する築城なり飛行場、あるいは施設は、可能な範囲で利用しなければならず、企図の秘匿や静謐(せいひつ)保持のことも、大いに考慮の必要がある。
【元陸軍大佐草地貞吾著 「その日、関東軍は 元関東軍参謀作戦班長の証言」から引用】
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