葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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歴史探訪「招魂齋庭」

2023年10月17日 | 歴史探訪<靖国神社>

戦前の招魂式

浄闇を御羽車が招魂齋庭に進みます。

遊就館展示室「招魂齋庭」を参考にして作図した。

招魂された御霊は本殿相殿の神鏡に奉遷される。靖國神社御創立一五〇年特別展 御創立~現在 「6大東亜戦争ー終戦と神社存亡の危機ー」より

同じく「6大東亜戦争ー終戦と神社存亡の危機ー」より

1945年11月20日 臨時大招魂祭

大日本帝国が敗戦した年、1945(昭和20)年11月19日午後6時から、「満州事変以後の未合祀者で、将来靖国神社に合祀されるべき英霊」を一度に招魂する臨時大招魂式が営まれました。祭典委員長は、ミズリー号で降伏文書に署名した最後の参謀総長・梅津美治郎大将が任命され、宮司は鈴木孝雄陸軍大将でした。
翌日午前9時からの臨時大招魂祭には、昭和天皇、幣原首相と各閣僚、在京陸海軍部隊代表、GHQ民間情報教育部長ダイク准将などのほか、遺族約千人が参列しました。
多くの軍関係の書類は空襲で焼失したり、機密文書として敗戦直後に焼却処分をしました。また外地での戦死、戦病死などの状況は全く把握できていませんでした。「戦没者名簿を作成するということは、靖国神社の祭祀の根本をなすこと」となつてはいても合祀名簿は作成できず、さらにはGHQの意向では靖国神社の存続そのものが危ぶまれていました。そこで政府と靖国神社は「氏名不詳」のままですが「将来靖国神社に祀らるペき満州事変以降大東亜戦争に至る陸海軍軍人軍属等」の「英霊」を合祀したのです。

初代宮司筑波藤麿の通知書

小野田寛郎氏も横井正一氏も英霊になっていた。

「国立国際医療研究センター病院資料展示室」より

横井庄一氏は1972年2月2日に帰国、小野田寛郎氏は1974年3月12日に帰国。

「祭神名簿」に「生存確認」の旨を記入するだけで、「霊璽簿」はそのママである。

参考Blog記事>「旧招魂齋庭跡」駐車場に見る靖国神社の社入と招魂齋庭の変遷

続く)  (戻る

 

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