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「江戸時代は甲州道が、近代は大山道が軍用道路に」世田谷区の軍事史Ⅰ

2016年02月28日 | 歴史探訪<世田谷区内の戦跡>

昨日は世田谷区と教育委員会主催のピースセミナーに参加してきました。
せたがや がやがや館で「軍事施設の移転と世田谷(日比谷→青山→代々木→駒場・駒澤 大山街道に沿って)」を世田谷生涯大学専任講師濱中正之氏のパワーポイントによるレクチャーを受けてから、がやがや館→馬糧倉庫跡→世田谷公園平和の像ほか→平和資料館見学→兵舎跡ほか→東急田園都市線三軒茶屋駅解散のフィールドワークでした。
(日比谷→青山→代々木→駒場・駒沢 大山街道に沿って)とは「日比谷練兵場→青山練兵場→代々木練兵場→駒場練兵場・駒澤練兵場 そして江戸時代は将軍が甲府に避難する軍用道路だった甲州街道が、近代になってからは皇居・首都防衛の軍用道路大山街道になった」という「世田谷区の軍事史」をより深く理解することができました。

【レジュメ】
Ⅰ.明治維新直後の東京の軍事施設
 1.皇居・首都防衛 内乱に備える
  ① 皇居周辺の軍事施設
  ② 西南の役と近衛兵の反乱
 2.「富国強兵」策で外征に対応
  ① 陸軍の兵員数の変化
  ② 官庁街(霞ヶ関)の建設
Ⅱ.軍備拡張と在京陸軍
 1.練兵場の移転と新設部隊の設置
  ① 丸の内の陸軍用地→三菱ヶ原 赤坂・麻布中心に移転
  ② 日比谷練兵場→日比谷公園 青山火薬庫跡→青山練兵場
  ③ 駒場練兵場の開設 新設部隊(騎兵大隊・輜重兵中隊・近衛輜重兵大隊・騎兵実施学校)
  ④ 駒澤練兵場の開設 砲兵の駐屯・訓練 
  ⑤ 新練兵場と世田谷の変化
 2.在京陸軍部隊と東京衛戍総督部の集中
  ① 陸軍を統括する機関、諸教育機関の集中
  ② 近衛師団と第一師団の配置
  ③ 東京衛戍総督部
Ⅲ.大山街道周辺の変化
 1. 日露戦争後~関東大地震
  ① 万国博覧会開催の建議 青山練兵場の転用
  ② 代々木練兵場の開設
  ③ 万国博覧会の延期~廃止
  ④ 明治天皇の崩御と神宮の造営
 2.大山街道の変化
  ① 大山街道の軍施設
  ② 江戸期の大山街道
  ③ 明治期の市政改正計画と大山街道
  ④ 玉川電車の開通
Ⅳ.大山街道沿線の再開発
 1.青山練兵場敷地の移譲と代々木練兵場の土地取得
 2.道路拡張・改良計画
  ① 宮益坂の拡張
  ② 渋谷川の宮益橋架け替えと日本鉄道品川線の跨線橋新設
  ③ 行幸道路の新設
  ④ 東京市電の軌道への注文
 3.大山街道の管理
  ① 渋谷憲兵分遣所新設
  ② 警視総監告示
Ⅵ.2・26事件
Ⅶ.戦後の転用
 軍事施設から民生施設へ 住宅・学校・病院・公園等

講師濱中正之氏のプロフィール
1942年生まれ。世田谷区誌研究会顧問。池之上青少年会館運営委員。東京学芸大学中等教育課程社会専修卒業。昭和39年世田谷区桜丘小学校の教諭となり、以来38年間世田谷区立小学校に勤務。その間、社会科副読本「せたがや」の編集や歴史入門の副読本「せたがやむかしむかし」の編集に携わる。
【主要著書・論文】
区内見学モデルコース解説書「世田谷区内めぐり」(2002年)
ヘッドマイクで説明する濱中氏



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