『盧溝橋事件発生から77年を迎えた7日午前、北京市・盧溝橋にある「中国人民抗日戦争記念館」で記念式典が開かれ、習近平国家主席が演説した。習主席は演説で「日本の侵略者が武力で全中国を侵略する罪深い野心を達成するため、内外を震撼させる盧溝橋事件をつくり出した」とした上で、「中華民族は最大の危機を迎えた」と指摘。さらに「武力による対外侵略拡張は最終的に失敗するのが歴史の規律だ」と述べ、日本軍国主義を非難した。』と報じられましたが、盧溝橋事件を記念した式典に、中国最高指導者が出席したのは初めてのことです。
管理人が新宿区議会議員をリタイヤし、新宿区平和委員会の会長となった2000年7月7日に、新宿平和委員会主催「中国を訪ねる平和の旅」(旅行会社は富士国際旅行社)で中国人民抗日戦争記念館を訪問し、館長張承鈞氏と懇談をしました。館長は日本の侵略について次のように話ししてくれました。
①日本が侵略した時間が長い「100年」
②日本軍が死傷させた人数が多い「3500万人」
③広大な土地を占領した「中国の大半」
④中国の損害額が大きい「6000億ドル以上」
⑤日本軍の手段が残虐である「例えば関東軍第731部隊のように世界法規にも反する残虐さ」
訪問団は発刊したばかりの「葵から菊へ」を贈呈しましたが、翌年の改訂版冒頭言を転載します。
改訂版発刊にあたって
新宿平和委員会は、ミレニアムの昨年、「葵から菊へ」と題し、軍都であった新宿を中心にした歴史に光をあてた小冊子を発刊した。この「葵から菊へ」は、折しも新宿に深い関わりをもつ「731部隊の罪証を訪ねる中国平和の旅」を22人の訪問団を組織し、中国人民抗日戦争記念館、日中戦争勃発の地「盧溝橋」を7月7日に訪れ、親しく中国人民抗日記念館々長張承鈎氏と歓談、日中の平和友好(歴史をもって鏡とする)を誓いあい、その後731部隊の本拠地であった黒竜江省ハルビン市は平房区を訪ね、つぶさにその罪証を確認し、更に旧満州国の首都であった吉林省長春市(旧新京)においても日本がいかに塊偏政権をつくり、中国東北部を支配したかを検証し、「葵から菊へ」も贈呈した次第である。
7月未に行なわれた日本母親大会では、開催地が、東京で行なわれたので、新宿母親大会実行委員会は「軍都新宿を訪ねる」開催地ツアーを施行、資料としての役割を果たし、更に平和のための戦争展や全国の戦争遺跡を研究する連絡会などでも普及に協力してくださり、さらに多くの歴史ウオッチの企画がされ、初版は品切れになるうれしい悲鳴をあげている。
新宿平和委員会が再建されてから21年、平和を愛する方たちと協力して、原爆写真展を手始めに、早稲田大学の大隅講堂を満員にする「原爆法廷」、そして、新宿の平和都市宣言を勝ち取るまでの3年に及ぶ陳情を繰り返し、ついに1985年、区議会の全会一致で、平和都市宣言が採択され、86年3月15日に平和都市は宣言された。その後、幾多の平和行事がくりひろげられてきている。
1989年8月、この平和都市に、防衛庁が六本木から、市ヶ谷台に移転すると発表された。新宿区議会は、即座に、防衛庁の拡充移転に関する反対意見書を可決、関係方面に送付したにもかかわらず、アメリカの顔色を伺い、「夢よもうl度」と、侵略戦争に反省のない政府は、強引に建設工事を進めた。これは、「産軍癒着」の構造と、再び軍事大国への危険をはらんでいる。しかし、当初の「7ヶ年計画」1995年完成は、大きく遅れて12年の歳月を要して、ミレニアムの昨年、完成と同時に移転を完了した。
この間、新宿の平和を愛する人たちは、「防衛庁移転を考える会」に結集、この移転を食い止め、平和都市新宿にふさわしく、市ヶ谷台を平和な史跡公園にとの運動を展開してきた。反面、侵略戦争のシンボルである「旧大本営、陸軍部」および、「極東(東京)軍事裁判」の舞台となった、かつての「旧陸軍士官学校」の講堂と、ともに、戦争遂行時のかくれ家的存在である「地下壕」の保存、公開を訴えてきた。この要求は、一時期公開され、1号館は中心部分を「市ヶ谷記念館」として移転復元し、地下壕も3分の2は保存することに成功した。
最近の情勢を考えるとき、96年4月の「日米安全保障共同宣言」に続く、97年9月「日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)が作成され、これを具体化し、実効あらしめるために「周辺事態措置法案」が、98年4月、国会に上程された。99年には、橋本内閣から「政権のたらい回し」によって誕生した小渕内閣は、自由党に続き、公明党を抱き込み、5月には、多くの国民の反対を押し切って成立させた。このほかにも、99年には「周辺事態措置法」のみならず、「国旗・国歌法=日の丸・君が代」「憲法調査会法」「通信傍受法=盗聴法」と失つぎばやに悪法を成立させた。
新宿平和委員会は、現会長を先頭に、一昨年来、「軍都」新宿の歴史ウォッチを実行に移し、回を重ねるにしたがい、参加が増えている。現在までの活動の教訓を引き出し、歴史を検証し、真実を後世に伝えるために昨年来指摘された間違いや不備な点を補い「葵から菊へ」の改訂版を再版する。
なお、後半部分の「ぶっとばせ、新ガイドライン9・28新宿集会」と引き替えに、解説と新宿平和年表を掲載し、できるだけ現在の方たちにも理解が深められるよう配慮した。しかし、まだまだ私たちの力量不足で不充分な点があると思いますが、どうか不足の点は英邁な読者のみなさんで補っていただきたい。
政府は、不人気であった森総理に変わってオープンによる選挙によって小泉総理を選出、小泉人気を醸し出し、参議院選挙に打ち勝とうとしている。しかし、その中身は、何の変哲もないどころか、憲法9条を改悪しようと言う意図がありありと読み取れる。そんな時期に、この小冊子が、新宿の歴史を検証し、平和を愛する方たちの参考になり、少しでお役にたてば幸甚である。(文責・松田修次)
2001年7月25日 新宿平和委員会
【参照】曙橋ニュース「自分史・区役所通り」「第四章 平和運動の歴史的な事業」
(絶版)