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物忘れがひどくて、やはり靖国神社ガイドは無理ですね

2014年07月06日 | 歴史探訪<靖国神社>

    
 昨日は、富士国際旅行社主催の『旅のがっこう』靖国神社遊就館ツアー」のガイドをしてきました。しかし昨日の体験から、やはり靖国ガイドは出来ないことを実感しました。

 私が行うガイドの特徴は、3時間だろうと4時間であろうと、靖国神社境内入り口の「社号標」から遊就館出口に展示されている復元された零戦五二型の最後まで、声をからすことも無く「淀みないしゃべり」でした。
 ところが昨日は、展示室「戊辰戦争」のところで「吉田松陰や坂本龍馬など戊辰戦争の戦没者7751人は英霊として合祀されています」と説明していましたが「1571人」と間違えてしまいました。「有栖川宮熾仁親王は、俺の許嫁和宮を奪った憎っくき徳川家メと東征軍大総督となって江戸を攻めくることは、NHK大河ドラマ篤姫でご覧になったと思いますが」と説明をするところ「篤姫」の名前が出てきません。

 特別展示室には、天皇が着用した軍服が展示されていますが、「第122代明治天皇。第123代大正天皇。第124代昭和天皇。第125代が今上天皇。それでは初代天皇は誰でしょう」と言って後ろを振り向き、神武天皇の像を見てもらいます。左手に持っている弓の金鴟を指さし、神武天皇が大和を征服したとき、もう一羽の鳥がいました。それは八咫烏で、日本サッカー連盟のシンボルマークとなっています」と説明をしていますが、「八咫烏」が中々出てきません。

 展示室「支那事変」のところでは「大山中尉射殺事件」のパネルの前で「第二次上海事変の切っ掛けとなった大山中尉事件ですがこれは海軍の謀略です。都留文科大学名誉教授笠原十九司先生と一緒に研究をしてきました」と言っていますが、「笠原」の名前が出てきませんでした。

 2月に同じく富士国際旅行社主催の靖国神社・遊就館ツアーでガイドをした時は、展示室「日清戦争」「北清事変」のパネルの説明で「北京議定書の賠償金でアメリカが留学生の学校をつくったのが、清華大学です」の「清華」が出てきませんでした。

 展示室「支那事変」「盧溝橋事件」のところでは「元参議院議員吉岡吉典さんは、北京公使館区域から15キロも離れている場所で、増兵した軍隊が実弾夜間演習をしたことは、北京議定書違反ですので、中国軍が発砲をしたとしても正しい自衛手段ですと、書籍に書かれています」と説明をしますが、「吉岡」さんの名前が出てきませんでした。

 アルツハイマー病初期ではないと思いますが、これ程物忘れがひどいと、室内でレジュメを見ながらの講義と違い、フィールドワークの歴史ガイドは失格ですね。

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