韓国のWEB中央日報に靖国ガイドのインタビュー記事がエントリーされました。
2005年に靖国神社をガイドしたことがある、韓国の方から地震のお見舞いメールが届きました。そのやりとりの中で、中央日報の記者に管理人の話をしたようです。
現在は、金沢に転居したので靖国ガイドはやっていないと話をしたのですが、昨年までの体験についてインタビューをしたいと言うことで先週、通訳を介して約2時間にわたって電話インタビューを受けたものです。
中央日報のURL
http://news.nate.com/view/20110413n13589?mid=n0507
ギムゾングロック記者 ilro12@joongang.co.kr
Hasegawa(長谷川 順一)さんのブルログ (http://hagw.blogzine.jp)
? 記者ブルログ http://blog.joinsmsn.com/center/v2010/power_reporter.asp
[J-Hot]
東京都の労組「都庁職本庁支部」の荒川孝治さんが友人に依頼をして翻訳をしてくれました。
【 】の部分は修正してくれるよう記者に依頼した部分です。
靖国神社の日本人案内人「総理の参拝は恥じずべきこと」
写真
靖国神社正門にある石作りの獅子2個は、第二次大戦【日清戦争】当時、中国を侵略し略奪してきたものである。人を殺し奪ってきた戦利品を堂々と靖国神社の正門に配置するのは誤った行為である。さらに、戦争の象徴である靖国神社を日本の総理が参拝するのは明白な過ちである。
靖国神社の日本人ガイド長谷川順一氏は、2010年10月に引退するまでの10年間、日本の反省を叫び続けた。外国人はもちろん日本人も彼の解説を聞いた。6000余名に靖国神社の真実を肉声で知らせた日本人ガイド長谷川氏を電話でインタビュした。
彼はインタビュ中、徹頭徹尾、誤った日本の歴史を正しく把握しなければならないと強調した。彼は、2010年に小泉総理が靖国神社を参拝した後に、神社のガイドを始めた。戦後、三木武夫と中曽根康弘等の日本の総理が靖国神社を一度ずつ参拝してきた。しかし、小泉総理は選挙で、「総理になったら靖国神社を参拝する」と宣言し、参拝を公式化した。総理がこのように打って出ると日本国民は靖国神社に対する関心を高めて行った。反戦団体も静観していることはできなくなった。日本平和委員会は、靖国神社にはガイドが必要だと判断し新宿平和委員会の長谷川氏に依頼した。当時彼は50余名で構成された新宿平和委員会の会長職を任されていた。戦争反対、安保条約などを主張する団体である。彼がガイドをして得た金額は一名当たり500円に過ぎない。
太平洋戦争当時は小学校3年だった。家が中島飛行機東京製作所の近くであったため、B29爆撃機が爆弾を落とすととても怖かった。その時は、兵隊になって日本を守ろうとも考えた。彼は20代中盤に入り、本格的に戦争を反対し始めた。さらには父親の過去の行動まで批判し始めた。「私の父は、1937年の第二次上海事変当時、中国との戦争に二等兵として出兵した。父が人を殺したかどうかはわからないが、戦争に直接参与したことにいつも恥じていた。父は、中国との戦争中に韓国入慰安婦を犯したりもした。そのため、反省するべきことを捜し求めることにした。
87【89】年7月、新宿区議に在職中に戸山の軍医学校【跡】から遺骨100余個が発見された。韓国人と中国人に生体実験した旧731部隊が駐屯していた場所から出たものだった。日本政府はこの遺骨を燃やして新宿にあったどぶ川に捨て【無縁墓地に埋葬し】ようとした。韓国人か中国人かはわからなかった。しかし、私は日本政府の政策に反対し、その遺骨を国立感染症研究所に保管するように要求した。家族に遺骨を送りたかっが、身元がわからなかった。
彼の話は続く。
日本の過ちがもっとも良くわかるところが、皮肉にも靖国神社である。78年靖国神社は、東条英機を初めとしたA級戦犯14名を合祀した。246万名の戦死者が天皇のために死ぬことにより生前の行いに関係なく神になり、国民の礼拝を受けている。20個の展示版【室】には大型の艦砲等の各種兵器、自殺特攻隊である神風特攻隊員の銅像など数多くの遺物が展示されている。この戦争の遺物を反省し、正しく見る視角が必要である。
長谷川氏は、独島(竹島)を日本領と記述した教科書に関連し、1905年に独島を竹島と呼び変え、島根県に編入するその時期は、日本が【侵略】戦争を準備する時期であった。日本は戦争を起こしたことを真筆に反省しなければならない。私は、独島を日本領だと話すことは、まだ日本が戦争を引き起こしたことを反省していないと考えている。と語った。
靖国神社のガイドの引退後、昨年の11月22 日に、彼は故郷の東京ではなく、父が服務していた金沢市の第9師団の近くに移ってきた。ここはユン・ボンギル氏の墓のあるところです。32年に彼は天皇の誕生日を記念する行事に爆弾を投げ日本人の高官を殺した。日本は彼をテロリストと規定し、ここ金沢市で彼を処刑した。私は彼を戦争の犠牲者と考える。しばらくしたら、彼の墓を訪ねて戦争をひき起こした日本を謝るつもりだ。
16名の日本人が彼にEメールを送り、知らなかった歴史を教えてくれて感謝すると言った。
【注】16名のEメールとはこのブログにある「毛呂山町靖国ツアーの感想文」のことである。