世田谷区図書館で借りてきた「太平洋戦争の真実 東條英機宣誓供述書」を読み始めました。これは、総理大臣・陸軍大臣東條英機の孫娘である東條由布子氏が平成10年1月に神田の古書店で偶然見つけて買ったものです。一部抜粋します。
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まえがき
(略)
昭和二十三年一月二十日、洋洋社発行とあります。後で分かったのですが、この本は、私の祖父である東條英機が陸軍大臣となった昭和十五年七月から、総理大臣として内閣総辞職した十九年七月までの四年間の活動について、祖父自身が振り返って語ったものを、主任弁護士の清瀬一郎先生が書き起こしたものだったのです。
(略)
ところが出版されるとすぐ、連合軍総司令官のマッカーサー元帥によって昭和二十年九月から敷かれていた報道管制の一環として、この『東條英機 宣誓供述書』は「発禁第一号」に指定されてしまいます。そのため、長いあいだ日の目を見ることがなかったというわけです。
(略)
この本を読み進むにつれ、私はつくづく祖父の「勇気」に感じ入りました。あれだけの四面楚歌の状況の中で、しかも国際裁判の法廷という場で、日本国の立場を正々堂々と主張していたということが、改めて分かったからです。
「断じて日本は侵略戦争をしたのではありません、自衛戦争をしたのであります」
私はこれぞ本物の軍人魂、これぞ日本人だと感じました。死を覚悟していたからこそ、これだけのことが言えたのでしょう。
祖父はそのほかにも、自分が開戦の責任者であったこと、日本の国家を弁護するのは自分以外にないということを、はっきりと言い切っています。
(略)
「そのために、私は生き恥を晒してでもこの法廷に立たせてもらった。私に発言のチャンスをくれたこの東京裁判の法廷に、心から感謝している」
これだけの強い覚悟、信念があったからこそ、日本国としての主張を堂々と言うことができたのでしょう。読み終えたとき、私は感動を禁じえませんでした。
(略)
平成十年八月、こうして『正義を貫いた東候英機東京裁判供述書』が出版されました。
(略)
戦後、日本は連合軍の政策にすっかり洗脳されてしまいました。日本が行った戦争を「侵略戟争」であったと刷り込まれた上に、GHQの検閲により「自衛戦争」といぅ主張は掻き消されていました。日本人は目も耳も塞がれていたのです。占領中はまだしもサンフランシスコ講和条約が発効した昭和二十七年以降も、日本の政府や政治家たちは、連合軍によって押し付けられた「歴史認識」を修正しょうとはせず、国民の再啓蒙をまったくといっていいほど行いませんでした。多くの国民が、心の底で誇りを求めていたのにもかかわらず。
連合国が押し付けた、誤った歴史認識。それを野放しにしたままの日本政府、そして政治家たち。私はこれらこそが大きな問題だと思っています。その結果、中国や韓国から干渉を受けても毅然と言い返すことのできない状態となり、首相の靖国神社参拝に反対の意を示すという、何とも憂慮すべき状況に陥ってしまったのです。
いま中国や韓国が盛んに言い立てる靖国の問題にしても、東京裁判に関する問題にしても、すべてはこの「自衛戦争をしたのであります」という一行が鍵を握っていると思います。戦後の日本人が、心して思っていなければならなかった一行です。この一冊の真髄といえる部分だと思います。これさえしっかりと心に持っていれば、こんな日本にはならなかったはずなのです。
(略)
数奇な運命を辿ったこの「宣誓供述書」が、戦後六十年の節目にあたる今年、多くの「出会い」と皆様のお力によって、新たに復活することになりました。これをお読みいただければ、きっと日本人としての「誇り」と「勇気」が湧いてきます。丹念に、時を追ってきっちりと書かれた宣誓供述書ですから、若い方々には歴史の勉強にもなることでしょう。これからの日本を背負っていく若い世代の方々にぜひ手にとっていただきたいと思っています。
そして、祖父からの魂のこもったメッセージを、ぜひこの本から読み取っていただきたい。そう願ってやみません。
平成十七年八月
東條由布子
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解 説
渡部昇一(上智大学名誉教授)
(略)
後日、清瀬弁護人によれば、こめかみを撃てば頭部に多大な損傷ができてしまう。それを写真に撮られでもしたら、後生に恥ずかしいと東條自身が考えたそうである。だから心臓にマーキングして、そこを撃ったのだ、ということだった。
(略)
そして昭和十六(一九四一)年九月六日の御前会議を迎える。ここでは、「弾発性」 という言葉を使って、徒に対米交渉をずるずると延ばせば、米英蘭による対日制裁のために、日本は戦う力を喪失してしまうということを克明に述べている。石油なし、屑鉄なしで、日本の防衛を司る統帥部としては一歩も譲れなかった。
またシナ撤兵問題についても、譲歩しない理由を「もしここで撤退したらシナの侮日思想はますます増長し、第二第三のシナ事変が勃発するに違いない」と言い切っている。撤兵したくとも軽々にそうすれば、さらなる混乱が大陸に、そして日本とシナとのあいだに巻き起こることを東條は危倶していたのである。現在のイラク問題で、容易にアメリカが撤兵できないことと同じだろう。
(略)
この「供述書」の最後で、東條はあの戦争が国家自衛戦だったことをるる述べている。これが奇しくもマッカーサー元帥が、米上院軍事外交合同委員会(一九五一年五月三日~五日)で発言した証言とまったく論旨が同じなのである。
マッカーサーは、「日本には固有の原材料がない。石油も産出しないし、錫・ゴム といった多くの原料がない。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万人以上の失業者が発生する。だから、彼らが戦争に突入した主たる動機は、自衛のためだった」と言っているのである。この証言内容は、もっと日本人の知識として広まるべきであるということを、ここに言っておきたい。
そして「供述書」の締めくくりとして、東候は、日本帝国の戦争は侵略でも搾取でもないと言い、自分は日本があの戦争に負けた責任こそ負うべきであっても、東京裁判で問われている「共同謀議」「平和に対する罪」といった「戦争犯罪」を犯してはいないと喝破している。
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