「軍隊輸送の重要性を認識した明治政府の国策の下で開花した日本の鉄道」(「軍用鉄道発達物語」の帯カバーより)
新橋⇔横浜間の鉄道敷設に軍部は反対していたので海の中に鉄道線路を敷設したのが「高輪築堤」である。しかし軍部は、朝鮮半島と中国大陸へ対外侵略を進めるためには、まず国内の「軍用鉄道」の重要性に気がついた。
「ガソリンの一滴は血の一滴にまさる」
『第一次大戦において、初期の独軍は、国境に向かって巧みに配置せられた鉄道網によって軍の集中を容易にし、仏軍に対して極めて有利な態勢をもって迫った。これに対して仏国の鉄道は、パリに集中して国境会戦には不利であった。この圧倒的な独軍の前に仏軍が存亡の危機に立った時、仏首相クレマンソーは叫んだ。「ガソリンの一滴は血の一滴にまさる」と。この一言ほど、補給の重要性を如実に物語る言葉はない。ついに独軍の攻勢を拒止し、逆に仏軍が攻勢に転じた一瞬、それはまた、仏軍の自動車輸送が補給戦に打ち勝った一瞬でもあったのである。』(金澤輜重兵聯隊史より)
フランスの巧みに配置せられた鉄道網と補給の重要性を語った名言である。
「甲武鉄道市街線~兵器は飯田町駅、将兵は青山軍用停車場から~」
明治22年(1989年)5月22日、甲武鉄道会社は新宿駅から神田区三崎町まで複線延長させる市街線の仮免許状下付を出願した。これは、市内の軍隊輸送を迅速円滑化したいという陸軍の要望をきっかけになっていた。陸軍省はすでに、新宿と小石川の砲兵工廠との間に鉄道を敷設することを日本鉄道会社に諭旨したという経緯があった。甲武鉄道の常議員雨宮敬次郎と検査役岩田作兵衛はこれをさせようと、市街線建設を企画したのだった。
同年7月13日に仮免許を得ると、すぐに測量にかかった。その後軍部から、新宿⇔市谷富久町⇔市谷本村町ルートを青山練兵場方面にルートを変更するように命令し、青山御所の下にトンネルを掘ることを許可した。(御所トンネルの由来)明治26年(1893年)3月1日、市街線新宿⇔四ッ谷⇔飯田町間建設の免許状が下付され、7月から着工の運びとなった。線路は単線で、最急勾配は牛込⇔飯田町間の1,000分の11.4であった。駅は信濃町、四ッ谷、市ヶ谷、牛込、飯田町に設けられ、明治27年(1894年)10月9日、新宿⇔牛込間5.6㌔㍍、翌28年4月3日、牛込⇔飯田町間804㍍を開業した。そして当初の計画通り、同年12月30日に同区間を複線にした。
当時、日本は朝鮮・中国への侵略を計画していた。そのため軍部は、青山練兵場に軍用停車場を設け、甲武線と連絡して、西は広島、北は青森までの軍隊輸送計画をたてていた。甲武鉄道は軍部の要請で、軍用停車場と軍用線の建設工事を委託されたが、工期を1ヶ月半と要求され、4マイルを突貫工事で当たった。その結果、市街線開通直前の9月17日に工事を完成させ、6日後から軍隊輸送を行った。
「軍事専用短絡線の品川西南線」
日本鉄道会社は、7月軍部の要請を受け、同会社線品川⇔目黒間の大崎から分岐して東海道品川⇔大森間の大井に接続する軍事専用短絡線(品川西南線)を起工し、8月下旬に完成した。(大崎駅からの分岐は、湘南ライン等で使われている)
「東海道線神奈川駅(横浜駅の変遷)」
明治27年(1884年)8月、軍事輸送に支障があるからと、陸軍省の依頼で「頭端式ホーム」であった横浜駅は、軍用列車を効率よく広島方面に走らせるために、新たに通過式ホームの神奈川駅⇔平沼駅⇔保土ヶ谷駅直通線3.5㎞を開通した。
「広島大本営と宇品短絡線」
明治27年(1884年)8月、寺内運輸逓信長官は鍋島広島県知事に対して山陽鉄道広島停車場から宇品港に至る間に鉄道仮設の目的をもって山陽鉄道に命じて行わされるよう指示が行われた。測量は8月5日に完了したが、山陽鉄道による路線敷設工事は1日早い8月4日に着工し、仮設とはいえ僅か17日間の工期で8月20日は竣工させている。9月8日には大本営を広島市に進めることが決定し、明治天皇は9月15日広島に到着、広島城内のもと第5師団司令部(第5師団は朝鮮へ出兵していた)のあった大本営に入り、翌16日開庁式が行われた。広島市は一躍日本の首都になり、西練兵場の一角に建設された仮議場で10月15日臨時帝国第7議会が開かれ、臨時軍事予算案等3重要法案を可決、10月22日閉会式が行われた。広島市は、その後の日露戦争においても重要な軍事拠点としての役割を果たし、「軍都広島」としての性格を強めて行くこととなる。(煉瓦建ての陸軍被服支廠は保存される。)
この間、6月7日に日清両国は朝鮮出兵を通告、8月1日に正式に宣戦布告し、日清戦争が勃発した。
【参考文献】
*明治30年刊「甲武鉄道市街線紀要」
*昭和60年日本国有鉄道新宿駅発刊「新宿駅100年」
*昭和48年東京南鉄道管理局刊「汐留・品川・櫻木町百年史」
*2012年ネコ・パブリッシング刊「宇品線92年の軌跡」
(了)