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「高輪築堤跡については埋蔵文化財担当機関と協議を行い」東京都首都整備局開示文書が到達しました

2021年07月03日 | 鉄道の歴史と高輪築堤問題

「高輪築堤」に関するJR東日本の都市計画関連の情報開示請求を都首都整備局に行ってきましたが、本日到達しました。カラー365枚、白黒342枚合計707枚で手数料は10,490円でした。

本年3月16日、19日の土地区画整理事業の「許可申請書」には、「当該地の包蔵地指定範囲(高輪築堤跡)については、埋蔵文化財担当機関と協議を行い、調整した内容にて施行すること」と明記されていました。昨年8月に東京都教育庁は文化財保護法に基づく「周知の埋蔵文化財包蔵地」に指定しました。しかし4月21日、JR東日本は「第7橋梁出土の3街区」は保存、信号機跡が出土の4街区」は移転保存の方針を発表し、文化庁、東京都教育庁、港区教育委員会は同社の方針を容認してしまいました。よって第4街区は無残な解体作業が進んでいます。参考Blog記事「嗚呼!無残なり「移転保存」の名目の下に解体が進む第4街区の現場写真

これから、「内閣府地方創生推進」と「国家戦略特別区域法」に基づく内閣府、国土交通省、東京都、港区、JR東日本、UR都市機構の「品川駅北周辺地区」についてジックリと分析していきたいと考えています。

同時に、第4街区は「移転保存」となりますが、第2期工事地区の第5、第6街区の埋蔵文化財調査によって「第8橋梁」部が出土することを期待しています。来年は、鉄道開通150年となりますので「新橋駅⇔横浜駅」の近代歴史遺産として歴史学者の方々に協力していきたいと考えています。

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日本イコモス国内委員会要望書」から抜粋 1・文化遺産としての世界的な意義と価値

  わが国最初の鉄道である新橋〜横浜間は、世界史的にみれば東アジアで最初の鉄道でもあり、植民地鉄道とはちがうわが国が国家プロジェクトとしてつくった自律的な鉄道であることは、すでに記述しました。1872年(明治5)の開通以来、基本的な鉄道ルートは変わりなく、沿線や周辺には開業当初からの鉄道遺構や関連施設が数多く残り、最近まで今日の鉄道を地下で支えてきました。終点の旧新橋停車場跡は史跡に指定され、開業当時の駅舎や線路等の一部が復元されていますが、さらに新橋~横浜間の鉄道遺構の連続的な保存と活用ができれば極めて大きな意義があります。
  かつては「高輪築堤j以外に、神奈川県には「横浜築堤」が存在し、築堤土に利用された 神奈川の切り通しは鉄道路線として現存し、また工事監督者であった高島嘉右衛門が指揮した高島台など、横浜にも関連施設や遺構、遺物を確認することができます。路線に残る現役の煉瓦橋台も、興味引かれる構造物です。今後調査を深めれば、関連施設や遺構は、まだまだ発見されることが予想されます。

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(了)

 

    

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