『オウム真理教による地下鉄サリン事件から20日で19年を迎えるのを前に、遺族らは15日、事件を振り返る集会を東京都内で開いた。「同じ犠牲を出してはいけない」-。霞ケ関駅の助役だった夫を亡くした高橋シズヱさん(67)はこう訴え、事件の風化を懸念。元幹部平田信被告(48)の裁判に参加した仮谷実さん(54)は、遺族や被害者が法廷で事件に向き合う意義を語り、再び始まる「オウム裁判」を見据えた。』と報じられました。
管理人は、旧日本軍が中国大陸に遺棄した毒ガス兵器による中国人被害損害賠償裁判に係わってきたので、毒ガスサリンによるこの事件に関心を持ってきました。さらに旧軍が毒ガス兵器を開発研究を始めたのは、新宿区百人町にあった陸軍科学研究所(六研)でしたので戦争遺跡の問題からも関心がありました。
山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)の教団本部施設への強制捜査が行なわれた時、ビックリしたのは何故農地にあれほど大規模な建物、それも工場施設が完成していたことでした。建築法令からの明らかな違法な建築物であり、しかも高圧電気が東京電力から配電されていたことでした。村と県当局はこの違法建築物をなぜ放置してきたのでしょうか。違法建築物件に三相高圧電気を配線・通電することは不可なのに、なぜ東京電力はこのオウムの違法工場に配線・通電をしたのか当時の報道では追及がありませんでした。
毒ガス兵器は「貧困者の核兵器」と言われるほど小規模な製造施設で生産が可能です。理工系大学の実験室でも製造できるようですので、オウム事件からは、このことを教訓にして欲しいと願うものです。