カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

10Aug2010という一日

2010-08-10 | エッセイ

白のゴーヤ(ケータイ動画)

昨日のblogで、菅首相に対し、自民党議員が非難の言葉を使っていたという旨の事を書いているが、その同じ顔の議員がその後TVに出ていて、テロップに「みんなの党」となっていた。自民党だと思ったのは私の間違いだったのだが、私にとってはほとんどどうでもよい間違いで、野党だがら全部自民党ぐらいにしか思っていないのである。本人にとってはそれが通ってしまえば大変な間違いということになるだろうと思う。ところで、みんなの党の、みんなって誰のことなのか。自民党が、自民盗ではないかと思うくらい政治は分からないのだが、みんな?というからには、そのみんなには私は入っているのだろうか。参加、加入した覚えはもちろん無い。政党名には何なのかと思うものが多く、「立ちあがれ、日本」というのも最初何かと思い、変だと思った。日本といういわば大き過ぎて抽象的ですらあるものに向かって、立ちあがれ!と叫んでも仕方がないような気がしたのだ。始めは、江戸っ子か何かで、「立ちやがれ!」とでも煽っているのかと勘違いしたくらいである。立ちあがれ、とくれば世代として昔懐かしビッグX(エックス)の歌詞を思い浮かべるのだが、立ちあがった日本がX(エックス)ではなくて、大きな×(ばつ)印に見えて「没」だなどと言ってもシャレにも何にもならないのである。

このところ朝日新聞の1面にAIR NEW ZEALANDのCMで女の「唇拓」が載っている。キスマークというやつだ。色まで付いて紙面上でそこだけ雰囲気が違う。なまめかしい、という感じにはなっていない。この唇の主、どんな顔で何を考えているのだろう。
ふとなぅ~、これは原寸大か?

ルナについて・・・  IZA「書」なぅ~・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  以前、パソコンにLUNAという名をつけていると書いた。これは最近よくあるアニメやファミコンなどの少女風ゲームキャラクターのイメージで付けたのでは、まるでない。私にはそういった趣味はあまりないのだ。そこからの発想ではなかったと覚えている。むしろ、逆にパソコンというハードなものに対して名をつける時の、よくある感覚としてつけた。名を入れないと設定ができないようになっていたからである。そうでなければ、メンドウで頭をひねることはしなかっただろう。感覚としてよくある・・・バカでかい、鉄の塊ともいえる船などに、柔らかな女性の名をつけたりしている、あの感覚である。

・・・閑話休題
昼と夜について古代の人々の中には、これを昼と夜で2日と捉えた人たちもいたらしい。昼は太陽の光の満ち満ちた世界。夜は冷え、冴えた(これは古くからの日本人の感覚でもあるようだ)、imageの膨らむ世界。まだ地球と月、太陽の物理的関係を知らぬ時代の事だから、そう捉えてもおかしくはないし、想念としては今でも通じるところはあるだろうと思う。夜は闇の世界のイメージなのだが、実は、現実は、夜の天空には昼と同じように光は満ち満ちているのだ。唯一月だけがそれを知り、それを知らせてくれる。光は光源でない限りそれが照射する物があってはじめて、そこに光があると人は知るのだ。

まぁ~な。
                                          

コメント
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