福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

盤友・板倉重雄さんによる大阪フィル#503定期演奏会レポート

2016-11-14 23:11:43 | コンサート

盤友にして畏友の音楽ライター板倉重雄さんが、先日の大阪フィル定期2日目に東京から駆けつけてくださいました。

さらには、Facebookでのご感想がとても嬉しく、大阪フィル合唱団団員やオーケストラ関係者、さらには広い範囲での音楽ファンの方にもお届けしたく、写真も含めここに転載させて頂きます。

まこと、ここまでテキストや音楽を理解し、また、演奏上の意図を汲みつつ聴いて頂けるとは、音楽家冥利に尽きます。

まさにそのように準備し、そのように練習を重ね、そして、シモーネ先生の棒の下で花を咲かすことができたのですから!

『2016年11月12日(土)フェスティバルホールにて大阪フィル第503回定期演奏会を聴きました。指揮はオーストラリア出身で本場ドイツで実績を積んだシモーネ・ヤング。合唱指揮は畏友、福島章恭。

開演前、人生初めてフェスティバルホールに入り、建物のスケールの大きさと内装の美しさに驚かされました。普段、せせこましいホールでクラシックを聴いているのだなあ、と感じました。もう一つ、プログラム冊子を見て、合唱指揮の福島さんの写真が載っているのは当然ながら、楽曲解説の担当が学生時代からの友、舩木篤也、そして大阪フィルの指揮者就任&デビューの記事が掲載された角田鋼亮は私の出身高校の後輩と、何だか演奏前からぐっと親しみを感じてしまいました。

大阪フィルのメンバーが舞台に出てくると、一見普通の新配置(弦楽器が左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、右奥にコントラバス)ながら、よく見ると第2ヴァイオリンとヴィオラが入れ替わっていて、旧配置と新配置をミックスした配置となっていました。ヤングが1週間前に東響を振った時は純然たる旧配置だったので何か意図があったのかも知れません。

そしてシモーネ・ヤングが登壇。オール・ブラームス・プログラムの1曲目は悲劇的序曲。冒頭からテンポは速く、決然とした進行を見せます。東響の時と同じ偉大な統率力を実感するとともに、各楽器がブレンドした豊かで暖かい響きに感じ入りました。そして表現が驚くほどの深みに達するのは弱音部分。やはり彼女の弱音表現はゾクゾクするほど素晴らしい。音楽は神秘的な表情を浮かべ、テンポも緩やかに落ちて行き、魂の奥底へと引き込まれるかのよう。その後、再び音楽が力を得た時の喜びの表情!テーマを歌うヴィオラのなんとも言えない音色に陶酔させられました。ラストの嵐のような高揚も圧巻でした。

2曲目「運命の歌」。大阪フィルハーモニー合唱団が登場。拍手はまばら。団員も心なしか緊張気味に見えます。そしてヤングが登壇。「ゆっくりと、憧れに満ちて」と表示のある冒頭のオケだけの部分。音楽はpで始まりppの密やかさになり、一度だけfに盛り上がるも、すぐにpの静けさに戻るデリケートさ。それでいて「表情豊かに」とか「情緒豊かに」といった指示も現れます。この部分の美しさだけで私はしびれました。旋律を繊細に歌う木管群とヴァイオリン群に、金管や低弦が深い彩りを加え、柔らかなハーモニーが立ち上る美しさ!背後で気づくか気づかないかくらいの弱音でリズムを刻むティンパニも、感受性に満ち満ちていました。そして合唱団がまずアルトだけで歌います。

「御身ら 空たかく光りに包まれて やわらかな地をゆく 浄福の霊よ!」

情緒豊かな弱音に魅せられたのもつかの間、フレーズの繰り返しでソプラノ、テノール、バスが加わって、突然色合い豊かなハーモニーが湧き上がる感動!あゝ、この部分を聴くだけでも大阪へ来た甲斐があった‼︎ ヤングの指揮する大阪フィルと、福島さんが指導する大阪フィル合唱団の芸術的な共同作業が、ブラームスが作曲技術と芸術性の粋を凝らした瞬間を最高に美しく現実の音とした瞬間でした。
この繰り返しが済んだ後、合唱が抜けて弦楽器だけがppで後奏する場面 ーこれは第2連の「運命を知らず あたかも眠れる 乳飲み児のように 息する天上の者たち」の後でも起きますがーのハッとするような美しさもヤングと大阪フィルは絶妙でした。この後、音楽はアレグロとなってオケと合唱は、第2連までの天上の神々の世界に対する、地上の人間の苦悩をはげしき、恐ろしく、ドラマティックに描きます。

「滅し そして落ちてゆく 悩める人間どもは」
「滝が 岩から 岩へ打ちやられるように はてしなく 底しれぬ闇の中へと」

この部分も彼女は決して粗野になることなく、有機的で陰影の深い音とメリハリの効いた表現で曲想をスケール大きく描いていて見事でした。「滝が」「岩から」と言った単語が聴き手に投げつけられるような書法を、大阪フィルと合唱団は聴き手の肺腑をえぐるように演じてくれました。

演奏が終わると客席は大喝采となり、ヤングは福島さんを舞台へ呼び出して、自分は舞台袖に退いて熱い拍手を送っていました。聴衆の拍手により福島さんは幾度も舞台の呼び戻されました。オーケストラの団員が引き上げた後、合唱団が舞台を降りる時には再び拍手が湧き上がり、合唱団員の最後の一人が下がるまで拍手が途切れることはありませんでした。この事だけでも、この日の合唱が聴衆に与えた感動の深さが証明されるでしょう。

後半のブラームスの交響曲第2番についても書きたいのですが、少々疲れたので今日はここまでにしたいと思います。』

板倉重雄

 

 

 

シモーネ・ヤング先生とのブラームスを振り返る その1

2016-11-14 11:00:04 | コンサート

シモーネ・ヤング先生とのブラームスの1週間は実り多いものであった。これまでの我が音楽人生の中でも一際高いランクの体験であったことは間違いない。
いま1週間と書いたけれど、コーラスのみの稽古は1日、オケ合わせ1日、あとは本番の2日間なので大阪フィル合唱団とは4日間のお付き合いということになるが、わたしにとってシモーネ先との日々は、5日(土)の東響との「4番」から始まっていた、という意味において1週間(厳密には足かけ8日間)なのである。

今回、シモーネ先生から学んだことの第一は、「信念を曲げない」ということである。わたしも、よく人から「(音楽づくりを)諦めないですね。我慢強いですね」と言われる口であるが、シモーネ先生のそれは桁違いである。音楽的なキャラクターづくり然り、音程、フレージング然り、楽器間のバランス等々、およそ演奏とアンサンブルに関するあらゆる事項に於いて明確なイメージを提示し、それが達成されるまで練習を繰り返す。といえば、当たり前のことに思われるかも知れないが、殊に客演指揮者の場合、ある程度イメージを伝えて、あとはオーケストラに任せる、というケースの方が多いのだ。そして、シモーネさんの指示通りの演奏が達成できたときの説得力が半端ではない。

この世界、指揮者の指示通りに音価を変えたり、ダイナミクスを加減してみても「だから何なの?」ということもありがちなのだが、今回は、そういう事態はなく、必ずや所定の成果を生んでいたことは、偉とすべきであろう。

第2にはピアニシモの追求である。本番の会場がフェスティバルホールの場合、その巨大な空間を考慮して、音はやや強めに作るのが常であり安全なのであるが、シモーネ先生の信念はここでも揺るがなかった。ピアニシモを遠くに届かせる、生きた音のまま大きな空間を満たすというのは、楽器にとっても、声にとっても技術的に至難なことには違いないのだが、我々への生半可な温情はなく、最上級の理想を求める。
そして、実際に挑戦してみると、今までにない美しいピアニシモがホールの空間を震わせたのである。もちろん、コーラスに関して言えば、地道な呼吸法と発声トレーニングの成果がでたということになるのだが、こうした美しい成果に導かれることで、オーケストラや合唱の今後の可能性すら広がったのを感じさせるのである。

 




 

 



 


或るブルックナー愛好家からの手紙

2016-11-14 01:01:55 | コーラス、オーケストラ

 

福島章恭様

『CDを送っていただきありがとうございました。少し連絡が遅れてしまいましたが無事受け取りました。漸く時間がとれて、先ほど、まずはブルックナーの8番を聴き終えました。私は還暦を過ぎた素人の音楽好きですが、少しばかり感想をお伝えいたします。

予感はありましたが、素晴らしい演奏に、久し振りに大変感動いたしました。聴き始めて程なく判ったのですが、テンポ感や息遣いといったものに、何か自分自身と合ったものを感じました。そして何故だかわからないのですが、遠い昔の自分に戻ったような懐かしさを感じる印象でした。

最近聴きなれた(というか聴きなれてしまっている)今風のスマートできれいにまとまった演奏とは全く違うのですが、何か忘れてしまったものを思い出すような、別の言い方をすれば、全面的に安心して寄り添って聴くことが出来る音楽の流れを感じました。これは最近では貴重な経験でした。

あとでCDのブックレットの福島さんの文章を読ませて頂きましたが、LP等を通じたブルックナーの音楽との出会いが、これまた殆ど自分と共通していることを知り、恐らくこれがすべての印象の底流にあるのではないかと思いました。

オケの方々も全面的に共感しながら演奏しているのがひしひしと感じられるので、演奏の温度感といったものも高めに感じられます(亡くなられてしまった宇野さん流の言葉を借りれば「切れば血の出るような演奏」、最近の演奏の多くはこの温度感といったものが総じて低い=よく言えばクールに思われます)。したがって私にとっては音楽の流れがとても自然に感じられ、聴き終わったあとに身体中一杯に音楽を吸い込んだような充実感が残りました。そしてこれも不思議なことですが、一期一会のライヴ録音にもかかわらず、後でまた繰り返して聴きたい印象がのこりました。

所謂「ブルックナー指揮者」といわれる方々が殆どいなくなってしまったような昨今、このような演奏をされる方がおられるということは、光を見出すようで素晴らしいことです。

以上とりとめなく綴ってしまいましたが、本当に素晴らしい8番をありがとうございました。

今後のご活躍を心から祈念し、これからもずっと応援しております。』

Y.E