図書館に寄ったついでに、昔、通った大学の方まで、なんとなく歩いてみたくなった。
その当時は大学に通うというよりも、部室に通っていたので、狭い部室の中に大学が押し込められて、四年間、寝泊まり自炊の出来ない仮の自分の部屋のように使っていた。
何年か前にも、ふと立ち寄りたくなってやはり図書館に立ち寄ったついでに行ってみたら、廃部になっていたので、中に入ることは出来なかった。
たぶん、昔と同じ、三つの数をあわせて開ける鍵がかけられていたが、三つの数をどうしても思い出せなかった。
そこにいたもうひとりの、いや昔の自分のみた風景が扉越しに見えているというのに、刑務所の小さな四角の見張り窓から覗き見ることしかできないような類いのもの。
それが踏み入れることの出来ない記憶時間なのだと、無言で、鍵と三つ揃いの数字と扉が立ちふさがっていた。
その当時、私は、「きりかぶ」を何度もつくっていた。
大学の文芸部の文芸誌のことである。その編集をしていた。
ありとあらゆる今生きている時とともに吐き出され、呼吸されていくものを、集めていたように思う。
今書いたものを、今書かれたものをかき集めて、樹の断面にではなく、樹の皮をひんむいて、樹そのものに、読まれるか読まれないかも、それほど考えもせずに、書き込んでいたようなものだ。
樹を育てることを考えもせず、ただ、むやみに木を切り倒し、日々いつのまにか刻まれていく年輪を見たいだけのような自分たちの言葉を重ねた「きりかぶ」であったかもしれないが。
それにしても、きりかぶの断面に刻まれている、あの年輪というやつは、真ん中に行くほどに年老いているといえるのだろうか。
それとも、外側がより年を経て、昔に覆いかぶさっているという点において、年老いているといえるのであろうか。
日々と言う記憶というものを繋ぐように、年輪になぜ区切りが、目に見える形で現れてくるのか。
子どもの頃から、良く分からない気がしていた。
樹にしてみれば、時に耐えうる皮膚感覚を重ねるようなものだろうか。
あるいは、成長痛をうっすらと孕んだ瘡蓋が、剥げることなく、重なっていくような類いのものなのだろうか。
子どもの頃、大きな油繪を両親が手に入れて来た時から、そう思っていた。
向こうに大きな山々が見え、道の手前に人が坐れるくらいの大きさのきりかぶが描かれていた。
人は誰もいない。
ただ、きりかぶがどこか人のようにじっと坐ってこちらを見ているように、そこにいたのだ。
淡い空色と桜色と白と土色に縁取られていた、その繪の中に、いつも入り込んでそのきりかぶに座り込んでいるように、ときおり眺めていた。
私は、その時、確かにひとりであったが、静かに、平面の縁取りの中であったとしても見えない道の先を思うように、先細りしているようで、そこまでいったらそのままの道であるような、果てのない奥行きを、いつまでも感じるように記憶時間をたどり、満たされていたように思う。