明鏡   

鏡のごとく

『草刈りのあと』三

2013-09-16 14:10:39 | 小説
 草刈りの時見た、あの坂道を登る老婆と、その後をついていくような夢に出てきた車のバックミラーに映るものは何だったのか。

 夢のなかの記憶をたどれば、道の向こうに見えてくるものは、おそらく自分の幼少期を育んだ宗像の山々なのではなかろうかと漠然と思ってはいたのだ。


 宗像には、怨霊伝説があった。

 子供の頃は、怨霊伝説など知りもせず、山田の地蔵尊と聞き知っていた場所である。

 あの奇妙な夢を見た後に、たまたま、『福岡の怨霊伝説』という本を潰れかけの古本屋で手にとって、その怨霊伝説の経緯、「山田の地蔵尊」でかつて起こった話を知った。

 あの奇妙な老婆の歩く先と坂道を登る車の夢の先が、何かしら時の重なりあいのような、言ってみれば共時的なものをも、指し示しているような気がして、むさぼるように読みふけったのであった。



 北部九州沿岸地域の豪族の一つであった宗像君(胸肩、胸形、胸方、身方、棟堅)は、古来より筑紫の海域の守護神とされる田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまのみこと)の三女神を氏族として祀り、現在の宗像大社と呼ばれている宗像宮の発祥とあいなる。
 

 宗像大社には、幼いころ、自転車でよく出かけていた。

 神社と池と木と他には何もないようなその場は淀んだものを洗い流すような、溶かしさるような気がして、なんとはなしに行ってしまうのであった。
 何もないからこそ、何もしていないからこそ、何かが夢のようにぼんやりと浮かんできて、その先を知らしめるような、そういった場でもあったように思う。

 その静かな場に鎮座する宗像大社の宮司として、また宗像地方の大領(郡司)として、其の地を掌握していた宗像家に纏わる山田館の惨劇が起こったのが、宗像の山々でもあった。