明鏡   

鏡のごとく

『墓がない』

2016-02-10 23:21:53 | 小説
夢野久作の墓を見た。

博多にある一行寺に眠る、杉山家の墓。

入り口から入ってすぐの左側にあった大きな墓。

身体にあった大きさであったのだろうか。

巨体であった久作にあった、大きなそしてすこうし寂しい冬枯れた墓であった。

花を持ってくればよかった。

土から生えたばかりのうねったような花がいい。

死者の血肉を吸っているのかしらぬ存ぜぬと咲いた、するりと咲いた花がいい。

金文字で、杉山家の墓とわかるように彫ってあった。

久作は、玄洋社にも関わりのあった父親の杉山茂丸をはじめ、その一族の方々と、仄暗い墓の中、胎児の夢でも見ているのだろうか。


そういえば、ボルティモアの海の見える坂道を登って、丘の向こうにある教会の墓地に、ポーの墓はあった。


墓に辿り着く前に、夕方5時ごろの終わりがけの市場でクラブケーキと一緒に、ポーの顔の張り付いたラベルの瓶ビールをかっくらってきたばかりであった。

生牡蠣をしゃぶりつくしたかったが、夜遅くなるとここいらは意外と暗闇が深いということで、ポーの墓にたどり着くかどうか、わからないので、角打ちのように、たったまま、食らいつき、瓶ビールを空っぽにしたわけだ。


市場を出て、すぐの道でバスを待つ、米国の女学生に、ポーの墓はどこかと尋ねると、すぐそこよと、一人の赤毛の女学生が、道を挟んで建っている教会のような建物のある敷地を指差した。


入ってすぐに墓はあった。

一つは入り口のすぐ右に、もう一つは小道を逆L字型に辿った先の墓地の奥に。

墓地の奥から、入り口にうつされたと聞いたが、二つの墓に入ったものの、一度は掘り起こされた後、生き返ったわけでもなく、骨だけとなったポーは、壁からこぼれ落ちたものの気持ちを、現実においても味わったということにもなろう。

墓案内には、大鴉が、遠ざかる影のように、小さく張り付いていた。




作家とは、自分の書いたもののなかで生き続けるが、また、死に続けるものなのだ。

さしづめ、物語は、作家の墓標である。



ところで、私には、墓がない。

まだ、物語さえ、はじまっていないのだから。


こどもには、いつか何千度かわからぬか高温で焼かれるか、どろどろと地下深くねむり石化した私を吸い上げるなり、差し歯のように小さくなった私を形見あるいは二人それぞれに割ってもらって片身にして禍々しき魔除けのように持ち歩くなり、護身用に尖った石斧に加工するなりして欲しいと、言ってはいるが。

私には、墓がない。

入るべき墓がないのである。