を先日、見ていた。
実のところ、少し、奇妙な心持ちが邪魔をして、書きあぐねていたのだが、やっと書く気になったので、その自分の心の動きと背景をも、書き記しておこうと思う。
今だから書けることというものは、あるのだ。
キム・ギドクは、映像において、暴力的なまでの現実をさらけ出すことで、人を絶望に引きずり込む。
どこかでそれを終わらせることを望んでいるような最後の祈りさえ、暴力的に強制終了させる圧倒的な個の力を見せつけながら。
その映像の暴力を見終わったところで、あの現実の暴力と言える金正男の死の知らせをネットのニュースで見た。
殺されたミンジュは黒テープで顔をぐるぐる巻きにされ窒息死したが、金正男は顔に毒物をかけられて毒死したという。
暗殺をした組織のあいまいさもさることながら、その目的も、理由もあいまいなことにされていく過程。
どこかで発せられたその死の命令は、一人歩きしていくようであり、完璧に終わらせることだけが、救いであるかのようにも見え始め。
そうして、麻痺していく伝達の世界の「実行恨」の化身は、いたるところにいる。
というようなものを、暗に一人八役をしたものの存在に託したようにも見え始めた。
「実行恨」は、そこいらに掃いて捨てるほどに、うようよしている。と。
どこかで、隠されたところでの苦しみが終わりを告げられたような、一つの映画の終わりと一つの生の終わりの重なりように、その暗殺の共時性にも慄きながら、妙な心持ちになったのは、すでに話したことではあるが。
先日、友人の友人が指し示してくれたタロットの生首が二つ転がっている薄気味の悪いカードの「死神」をふと思い出していた。
昨日読み終わったばかりの、三島の生首の話が影響していると思われるが、三島と平将門の生首の怨念とともにある鎌を持つ死神のようなものを連想しつつ。
二つの首を持つ朝鮮半島にある国の終了をも、連想させるもののように思えてきたのだった。
意識のあるところから、いつの間にか無意識のうちに起こり続けることのあらゆる意味を、なんとか自分なりに、すべての感覚を動員しながら、のぞき見ようとしている自分がいて、心なしか、おぞましくさえあったのだ。
いずれにせよ、その国のものが作るものは、良きにつけ悪しきにつけ、意識的であれ、無意識的であれ、繰り返され、積み重ねられることによって、何がしかの臨界点を迎えるということなのであろうことから、他人事ではなく、自分のこととして、出来うる限りの美しいものを求めたであろう三島の死とともに、戒めることでもある。
実のところ、少し、奇妙な心持ちが邪魔をして、書きあぐねていたのだが、やっと書く気になったので、その自分の心の動きと背景をも、書き記しておこうと思う。
今だから書けることというものは、あるのだ。
キム・ギドクは、映像において、暴力的なまでの現実をさらけ出すことで、人を絶望に引きずり込む。
どこかでそれを終わらせることを望んでいるような最後の祈りさえ、暴力的に強制終了させる圧倒的な個の力を見せつけながら。
その映像の暴力を見終わったところで、あの現実の暴力と言える金正男の死の知らせをネットのニュースで見た。
殺されたミンジュは黒テープで顔をぐるぐる巻きにされ窒息死したが、金正男は顔に毒物をかけられて毒死したという。
暗殺をした組織のあいまいさもさることながら、その目的も、理由もあいまいなことにされていく過程。
どこかで発せられたその死の命令は、一人歩きしていくようであり、完璧に終わらせることだけが、救いであるかのようにも見え始め。
そうして、麻痺していく伝達の世界の「実行恨」の化身は、いたるところにいる。
というようなものを、暗に一人八役をしたものの存在に託したようにも見え始めた。
「実行恨」は、そこいらに掃いて捨てるほどに、うようよしている。と。
どこかで、隠されたところでの苦しみが終わりを告げられたような、一つの映画の終わりと一つの生の終わりの重なりように、その暗殺の共時性にも慄きながら、妙な心持ちになったのは、すでに話したことではあるが。
先日、友人の友人が指し示してくれたタロットの生首が二つ転がっている薄気味の悪いカードの「死神」をふと思い出していた。
昨日読み終わったばかりの、三島の生首の話が影響していると思われるが、三島と平将門の生首の怨念とともにある鎌を持つ死神のようなものを連想しつつ。
二つの首を持つ朝鮮半島にある国の終了をも、連想させるもののように思えてきたのだった。
意識のあるところから、いつの間にか無意識のうちに起こり続けることのあらゆる意味を、なんとか自分なりに、すべての感覚を動員しながら、のぞき見ようとしている自分がいて、心なしか、おぞましくさえあったのだ。
いずれにせよ、その国のものが作るものは、良きにつけ悪しきにつけ、意識的であれ、無意識的であれ、繰り返され、積み重ねられることによって、何がしかの臨界点を迎えるということなのであろうことから、他人事ではなく、自分のこととして、出来うる限りの美しいものを求めたであろう三島の死とともに、戒めることでもある。