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鏡のごとく

戦時中の米軍地図に“動かぬ証拠”…竹島を「Take」と表記 「独島」呼称、認識されず

2017-02-23 16:35:57 | 日記
 第二次大戦中、米国が竹島(島根県隠岐の島町)について「Take」と表記した地図が見つかり、島根県に寄託されていたことが22日、分かった。当時、日本の統治下にあった朝鮮半島について、この地図では「鬱陵=Utsuryo」など元の表記を日本語読みした地名の記載が大半。竹島の呼称が一般化していたことを示す資料となりそうだ。

 島根県竹島対策室によると、地図は、米国軍が戦時中の1945(昭和20)年5月に制作した布製の航空図「エスケープマップ(脱出地図)」(83センチ×78センチ)。日本侵攻に参加するパイロットらが遭難したり撃墜されたりした際に使用するよう携帯させた。

 400万分の1の縮尺で、一方の面には日本と南シナ海、もう一方の面には東シナ海が描かれ、季節ごとの風向きが異なる色で図示されている。竹島問題の研究者が大阪府内の古書店で見つけ、島根県に寄託した。

 地図では鬱陵島や済州島などは「Utsuryo」「Saishu」などと表記されているが、竹島は「Take」と記載。竹島をめぐり、韓国政府は日本が編入する1905(明治38)年より前から「独島」と呼ばれていたと主張するが、少なくとも1945年当時の米国側に、この島は「独島」だという認識はなかったとみられる。

島根県竹島問題研究顧問の下條正男・拓殖大国際学部教授(日本史)は「『独島』という呼称が、当時の米国には認識されていなかったということ。こうした事実の積み重ねが、竹島が日本固有の領土であることの立証につながる」と話している。

爆撃の残滓

2017-02-23 12:38:43 | 日記
(CNN) 英国南部のポーツマスで22日朝、港の浚渫(しゅんせつ)作業中に第2次世界大戦中のドイツ軍のものとみられる不発弾が見つかった。131キロ余りの爆薬が詰まったこの不発弾は、当局が注意深く回収し、海中で爆破処理した。
不発弾は拡張工事中のポーツマス港で浚渫作業員が発見した。重さ220キロを超えるドイツ製の爆弾で、第2次大戦中のロンドン空襲に使用されたタイプだった。
英海軍の幹部によると、こうした不発弾は数十年間にわたって海底にあった状態でも危険であることに変わりはないという。
港はすぐに封鎖され、海軍のダイビングチームと爆弾の専門家が到着。不発弾を海底に設置し、遠隔操作の爆破装置を使って処理作業を完了した。
爆破時には大量の海水と硝煙が海面よりはるかに高い位置まで舞い上がった。